実は本編中でもエフタルと土鬼の交流は示唆されています。例えばセラミック鉱山町では蟲遣い経由で土鬼貨幣が流通し、また6巻では大海嘯後に土鬼難民がエフタルに流入したことが描かれています。実は腐海を横断すればエフタルと土鬼は「隣同士」なのです。
こうしてみると意外とエフタル、強かです(笑)。実際、酸の湖では蟲が攻めてくるやトルメキア軍を無視してさっさと離陸し、その後もヴ王がアテにならないとみるや盟約を破棄してエフタル内で連合を図るなど中々血気盛んです。
「逃げ上手の若君」読みたさに遂にジャンプアプリの定期購読を開始(流石に毎週紙雑誌買うのはスペースが…)。相変わらずの諏訪さんの顔芸と、遂に「逃げる」からプラスアルファの一歩を踏み出した時行さんが熱い!
#逃げ上手の若君
お仕事終わり&月曜休みゲットで夢の四連休!というわけで今宵の漫画版 #ナウシカ 考察はちょっと予定を変えて不思議な少年ことチククについて21時頃から連投考察予定です。あと、今回は一つご案内もありますので、そちらもお楽しみに~♪
チククは、サパタ南のとあるオアシスでナウシカと出会い、以降行動を共にする少年ですが、ともすると「超常の力」+旧王族という便利なチート付の賑やかしに見え勝ちかもしれません。
実際、多くの場面でチククの行動ーとりわけ「超常の力」の行使ーは受動的で、ナウシカやチヤルカに乞われるままになります。年齢を考えれば当然なのですが、その危なかしさは、ナウシカをして巨神兵からチククを連想するほどでした。
では何故チククは敢えて身の危険を犯して素性を明かしたのか。一つには、勿論ナウシカの話を皆が聴くための「環境作り」(僧兵達を黙らせることも含む)ですが、それだけではないと思われます。
ここで出てくるのが冒頭に述べた「分かち合うこと」です。では何を分かち合うのか?この場合には、ナウシカの説得の「責任」になります。即ち、ナウシカの説く戦争回避の道とは、「腐海の畔で慎ましく生きること」であり、戦争で多くの犠牲を出した土鬼の人々には容易には受け入れ難いものでした。
ナウシカがクシャナのことを沢山教えてくれた→そのクシャナー傷付いた、本当は心の優しい人ーはナウシカに似ている→ナウシカと友達の自分はきっとクシャナの友達になれる。チククの言葉を補うとこんな感じでしょうか。そしてそんな彼の言葉にクシャナは初めて微笑み、手を差し出すのです。
今週号の #逃げ上手の若君 はやはり尊氏公の印象が強烈でしたね。前半部は後醍醐帝に高く評価され、朝廷内での名望高く本人もそこに満足げ…と亀田先生の描く尊氏像に近いものを感じました。ええ、前半部は(笑)。
そこから頁が改まっての尊氏公は、これはもう希代の怪物の迫力。未だ本心が底知れない辺り(「帝を支える」は本心かも…?とも思わせる)も、正にこの時代のラスボス感がありますね。そして初登場の高師直公!これは強い…強すぎて観応の擾乱で敗死するイメージがわかない(笑)!
#逃げ上手の若君
しかし、トルメキア側は最初からこの戦役で「土鬼の完全制圧」「シュワと墓所の占領」を狙っていました。だとすれば、シル川あたりで「ちんたら」やっている場合ではない…となります。