更には、「戦友としての忠告なら聞く」と一応を釘さしつつ捕虜釈放を快諾する姿であったり。そうした姿をナウシカ自身が具に見聞きしてきたからこそ、クシャナが本質的には人の死に傷つき悼む、優しい心のある人物だと見抜き信頼したのではないか。
午後はお休みいたどいて歯医者へ。何度来ても慣れませんが、心の中のナムリス様に励まされて(寧ろ煽られて?)行ってまいりました。
また作中では、究極の統合見解者=究極の凡人という図式が示されるのですが、このことは同時に「才能」なるものが如何に時代環境に規定されるかも示しています。なんとなれば、平凡/非凡の境界自体、時代環境により変動するわけですから。
更にいえば、その最期も。「教団」は崩れ行く墓所と運命を共にしようとしますが、もし彼等が墓所の建設者かつ世界浄化計画の立案者である場合、そんなあっさり自身の「被造物」と心中するでしょうか?(尤もこの時代に墓所を再建できるかは技術的にかなり微妙ですが…)
おはようございます。昨日は見事な皆既月食に興奮しましたね。今朝はいい天気ですがこんな日は仕事休んで紅葉巡りでもしたいですがそうもいかず。ゑ?雨の日はどうかって?そんな日に外出なんてもってのほかなので、家に籠って読書かゲームかコミケの原稿か(以下略
今週は #逃げ上手の若君 休載かぁ…恒例の小笠原公との対決(もう第何ラウンドまで来てたかしらん…?)は来週のお楽しみですな。
つまるところ小池さんのこれ↓ですネ。やらしいと感じる人の方がやらしいんであって、それをさも自分が道徳的であるかのように絵を叩くんだから、まぁちゃんちゃらおかしい。
お早うございます。今日は #C105 の当落発表ですね。できれば1枚目の当選報告雑コラを使えることを祈念しておりますが、仮に落ちても何らかの形で新刊は出しますです…!
そうして彼ーコネリー課長は決断します。テロ部隊に戦闘を仕掛けると。その時彼は同僚(悪友?)に内心で語りかけます。責任は我々上のもので折半だぞ、と。若者・部下に未来を残すために責任を引き受けるー実に「上司かくあるべし」ですし、実際この前後のコネリー課長は実に良い表情をしているのです。