実は更に、「人間の卵」が出てくる場面のナウシカとヴ王の台詞も変わっています。単行本版では墓所が泣いていることへの言及しかありませんが、アニメージュ連載版では、墓所の「生きる苦しみ」への言及があります(左が連載版、右が単行本版)。
よしんば危機を間一髪回避できたとしても、社会に危機を呼び込んだ元凶たる人物を、周囲はすんなり受け入れられるでしょうか。周囲から見ればその人物は正に「蟲に憑かれた」存在です。これはある意味、烙印ですが、同時に「取り憑いた蟲のせいだ」という免罪符にもなります(幼いナウシカのように)。
これは、王の恩寵により宮廷で生活できる=王に寄生しているとはいえ、少なくともその言動は自由意思に基づき、思ったことを直言している道化の在り方から比べればかなり歪です。
こうしたナウシカの「何故?」の原点にあると思われるのが、幼少期における(恐らくは唯一の友人だった)王蟲幼生との別れでした。「蟲とヒトは同じ世界に住めない」と父ジルはじめ大人達から無理矢理友を引き離されたトラウマが、彼女が腐海を求め、また「何故?」を問う原点だったのではないか。 https://t.co/Qdw2ZXXzVi
一方、腐海最深部=「青き清浄の地」との間には遷移帯が見られます。これは腐海が汚染地に対しては攻撃的・非共存的である一方、浄化世界に対しては非敵対ー寧ろ自然消滅に向かう傾向があることを可視化しているようで、なかなか面白いですね。
かくて歴史は繰り返された訳ですが、この事は物語全体の結末にも暗い予感を抱かせます。即ち「果たして、ナウシカ(とチククやチヤルカ達)が土鬼の地に齎した平安は何時まで続いたのだろうか?」「人々は何時まで、腐海の畔で「憎しみより友愛を」保ち続けられたのだろうか?」と。
なおこの幼いナウシカの回想で興味深いのは、父ジルたち「大人」の中にユパとおぼしき人物の後ろ姿が見えることです。あのユパですら、ナウシカが王蟲を匿い飼うことー蟲と人が共に生きることーを危険視していたことを示すようで意味深ですね。
この点について、更にユパとクシャナは掘り下げます。「土鬼は古来より死の影の色濃い土地であり、神聖皇帝や土王以前の歴代王権も皆その影に敗れ、虚無に喰われてしまった」と。要は歴代王朝は皆、ミラルパのように高邁な理想を泥沼の現実に粉砕され、恐怖政治に走って自滅していったわけです。
そしてナウシカの例を見る限り、王蟲が高い共感を示す対象は蟲だけではなく、人間にも向けられます。酸の湖ではナウシカの怪我を治癒し、大海嘯にあっては身を挺して彼女を粘菌から守るーマニ僧正ならずともそのいたわりと友愛には胸締めつけられるものがあります。