また別な形でもこの「コンプレックス」は示されます。それが蟲使い達の「森の人」への畏怖です。「森の人」は蟲使いと違い、外界に頼ることなく、腐海の中で自活しています。もっともその暮らし方は火を捨て、蟲の皮を纏い、蟲の卵を食するという極めつけの禁欲(?)生活で、そう容易く真似できません。
まず、初登場・ナウシカとの出会い。僧正様お付きでナウシカを案内する第一声が「お前とても強いな」&ナウシカにセクハラして倒された同族の男には「死んでも泣く人一人もいない」。いきなり火の玉ストレートであります。
この点で興味深いのが墓所と庭園のヒドラの対比です。即ち前者が狂暴きわまりないバーサーカー擬きであるのに対し、庭園でのそれは牧人も含め穏やかな農夫そのものです。このことはヒドラ(や蟲)の狂暴性が設計者により「仕組まれた」ものであることを示唆しています。
【補論②】ミラルパは兄ナムリスと異なり、複製人への肉体移植を頑なに拒み、無理な延命措置を目指しますが、これには幼少時のトラウマ以外に、今の自分に付随するカリスマ・超常の力が移植で喪われるかもしれないという怖れ、また手術失敗=死による帝国瓦解への怖れもあったかもしれません。
が、強硬一辺倒というわけではなく、ジルにとり実力行使は選択肢の一つに過ぎません。この事は先の発言の直後に「皆殺しにする力がないなら秘石などくれてやればよい」と続けている点に見られます。
で、強者か弱者かって「誰が」「どう」決めるんですか?その決めたことの妥当性は「誰が」「どう」担保するんですか?それが明らかにならない限り、キャンセルカルチャーなんぞ、「弱者性PR」が上手な界隈によるオキモチリンチの正当化にしかなりませんね。 https://t.co/ucKyM6cUD6
即ち、「庭園」は「人類として残すべき遺産」…動植物の原種・農作物・音楽と詩を永久に伝えるタイムカプセルとして、外界に依存することなく、不死の牧人と農夫ヒドラにより、自律的に維持されています。その遺すべきものの中に当の人間が含まれないのが、この庭園の空恐ろしいところなのですが…
そんなアスベルが激昂し我を忘れたのが、クシャナ一行との遭遇でした。老若男女問わず同胞を皆殺しにした首魁を目の前に落ち着けというのが無理な話でしょう。寧ろよくユパの諫止を聞いたものだと感心します。
しかし、トルメキア側は最初からこの戦役で「土鬼の完全制圧」「シュワと墓所の占領」を狙っていました。だとすれば、シル川あたりで「ちんたら」やっている場合ではない…となります。
同様に、トルメキア戦役勃発に際し、ジルは迷わず一人娘ナウシカを自身の代わり―族長代理―として送り出します。逆らえばトルメキアとの全面戦争になる以上、そこに選択の余地はありません。勿論、参加する戦そのものの善し悪しはまた別の問題としてですが。