これについてはやはり、戦を避ける「ナウシカの道」=それに殉じた僧正という図式が必要であり、「ナウシカの道」を説き広める者が必要です。そして、その役割を担った者こそケチャ達であり、だからこそ僧正の幻影を「演出」したチククも「ちょっと手伝っただけ」と言ったのかもしれませんね。
しかしナウシカはこの事実を、のみならず王蟲と墓の体液が同一=腐海と蟲が人造の世界浄化装置である事実をも「森の人」たちだけとの秘密にしました。かかる決断を(決断の是非は別としても)彼女はいかなる「責任」で行ったのか。
第三に、そして最も興味深い点として、両者とも音に極めて敏感であり、また音によりある程度制御できる点です。即ち、歯に細工をした「チッチッ」と、「蟲笛」は空気を使い特殊な音=信号をだす点で、本質的には全く同じものになるのです。
ところで、僧正は自分の計画をケチャにだけ明かしていました。勿論、部族全体に累が及ぶのを防ぐ為ですが、彼女が「例外」となったのは、お付という立場上、どのみち連座は免れないため、逆に計画を知らせることで、いざというときの身の振り(アスベル達との逃亡)をしやすくさせたのかもしれません。
まず「虚無」は5巻以降、土鬼大海嘯の惨劇に苦しむナウシカを内から責め苛む存在として頻出します。お前(ナウシカ)は愚かで薄汚れた罪深い人間で、この破局に出来ることはない。どうせ怒り狂う腐海はオマエを赦しはしないのだから、さっさと絶望に沈みきってラクになれと。
そしてトルメキアへの強い敵意。故郷を奪われ、多くの同族も殺された身としては当然ですが、この感情にどう「折り合い」を付けていくかが彼女の物語となります。
そのこと(僧正がナウシカに殉じたこと)に彼女も気付いたのでしょう。逃げ延びた彼女は荒れ狂います。「死んだら何にもならないのに…」の呟きからも、多分ケチャ自身、その怒りが半ば八つ当たりであることに気付きながらというのが切ないですね。
これはナウシカの囚われた虚無ですが、この世界には他にも虚無に囚われた者が溢れています。例えば4巻ではクシャナが、眼の前で仇の一人ーソレを殺す為に生涯を傾けた存在ーがあっけなく死ぬことで、自身の生きる意味を失い、今度は死に魅入られたような「迷走」を始めます。