何より、土鬼難民との武力衝突をほぼ傍観、ユパの死という大きすぎる犠牲を払ってやっと「王道を歩む」覚悟を固める場面に至っては、クシャナの不用意さ(停戦もしていないのに土鬼側にシュワ行の船を借りようとして不信を招く)と逡巡こそが、この悲劇の最大の要因と指弾されても仕方ないでしょう。
ユパ達に「投降」した後は、その投げ遣りな態度でケチャから余計な怒りを買います。てかケチャさん、ユパ様の手前もあるとはいえ、よく一言叱りつけるだけで堪えたな…
またカボで第三皇子と遭遇した際は、兄に実母を侮辱されるや怒りに我を忘れ逆上。クロトワさん(それも瀕死の重傷)の機転がなければそれこそ犬死してるところでした。先立つサパタでは祖国帰還さの第一歩、犬死も蛮勇も無用と自ら宣言しておいてこれはちょっと…
こうした段階を踏んだ上で、4巻後半、土鬼大海嘯勃発の混乱の中でチヤルカはナウシカと再会します。この時チヤルカは揺れ動きながら最終的に彼女(とその言動)を信用していきますが、やはり紆余曲折を経ていきます。
だがその神聖皇帝と僧会もやがて嘗ての土王同様の圧政と狂気に沈み、その教義も厭世感溢れる虚無に満たされていった。クシャナが指摘するように、土鬼歴代王権は土鬼を覆う、墓所が吐き出す死の影と戦いながら「虚無に喰われていった」わけです。
そう考えると、母子の別れにもまた違った味わいがあります。目的達成の過程に齟齬があり、母が喜ぶ「立派な人」になれたか不安なオーマ。そんなオーマの死を心から悼むナウシカからは、たとえ噛み合わない部分があっても互いに労りあう=ナウシカになれずとも同じ道は歩めることが伝わってきそうです。
ある日、彼は「人間を救いたい」と書き残すと、数体のヒドラを連れ出して庭園を脱出します。そのまま彼はーナウシカと同じようにーシュワに向かい、時のクルバルカ王朝を打倒、初代神聖皇帝として即位します。これはなかなかに驚くべきことです。
実際、本筋に関わる部分でも漫画版 #ナウシカ の影響を濃厚に感じられました。主人公が「戻る」決断の部分ですとか、何より今回のタイトルと漫画版ナウシカの最後の台詞「生きねば」との重なり具合がもう。
その意味で実は墓所と巨神兵は根は同じ部分があります。人間に絶望し、人間外の知性体に救済/裁定を委ねた点で。そう考えると「神までつくってしまった」という墓所の台詞は、巨神兵のことを指すのと同時に、自身を自嘲してもいたのかもしれませんね。
例えばトルメキアの二王子を「生かすに値するか」試す態度をとりナウシカを困惑させます。また、裁定者としてシュワのトルメキア軍や墓所と対決する姿勢は、ナウシカの戒め「世界を敵と味方だけに分けたら全てを焼き尽くすことになる」を十分理解できているのか疑問を感じさせます。
このため、風の谷のように腐海に近い場所では胞子対策が必須です。具体的には腐海から帰還した際の検疫・消毒、胞子散布が疑われる地域の焼却、胞子/瘴気を含む土埃の侵入阻止など、とにかく「発芽前に潰す」が基本です。