即ち、王は墓所中心に着くや激昂して「教団」幹部を攻撃し、不死の業やヒドラを下らないとばかりに撥ね付けます。…が、もともとヴ王はこれら「旧世界由来の奇跡/悪魔の業」を求めて墓所へ来たのではなかったでしょうか?
因みにこの場面では、引き続きの英軍(同盟するスペイン軍に対し「もっと自分で考えろ」と説く)との対比が見事で、この先の英仏両国の運勢を暗示する形となっている。
その際重要なのは培養中、王蟲が眠らされていること、培養槽が破壊され王蟲が目覚めようとするや、直ちにその殺害が命じられる場面です。このことから、王蟲は眠らされている間は仲間を呼べず、安心して培養できると考えられます(逆に言えば、目覚めて仲間を呼ばれたらアウトです)。
さて、ナウシカ世界の「虚無」といえばもう一つ、「庭園の牧人」を忘れることはできません。以前何度か触れた通り、「庭園」には、「後世に伝えるべき人間の遺産」…汚染されていない動植物の原種、農作物、音楽と詩が保管されていましたが、そこには肝心の「人間そのもの」だけが居ませんでした。
ただ、この②のヒドラ化には限界もあるようで、墓所内には体が朽ち砕けて頭だけになった教団員も出てきます。もしかするとヒドラ培養のエサとなる「死体」も、この限界を迎えたヒドラ達なのかも…だとするとタコが自分の足を食べるような話ですね。
そして「復元」の点で特筆すべきは、庭園でのナウシカへの治療でしょう。巨神兵の放つ「毒の光」で恐らく放射線被爆していた筈のナウシカですが、牧人が施した薬湯により全快したばかりか、本来ナウシカ達には耐えられない筈の清浄な空気への「耐性」まで付与されます。これは実に驚くべきことです。
そも、トルメキア王国自身に、旧世界の技術を以て世界を復興しようという意志どころか、「世界は再生と浄化の過程にある」という観念すら希薄です。確かにヴ王はシュワの墓所占領を狙いますが、それとて「土鬼が独占していた奇跡の技を手に入れ覇権を握ること」が主目的で世界云々は関心の埓外でした。
「庭園」の牧人は告発します。シュワを目指す途中にここに彷徨いこんだ「森の人」は皆、それまでの生活で得られなかった安らぎを得て、良き園丁となって一生を過ごしたと。それは、この「庭園」の快適さも然りながら、腐海以外を知らないー腐海に依存し過ぎたー故の「脆さ」であったと思われます。
恰もミラルパによる統治も民衆教化も何の意味もないと嘲笑うような「青き衣の者」の登場と、ソレに狂喜喝采する土民達…ミラルパにとっては幾ら殺しても殺し足りない程悪かったことでしょう。それこそ「大騒ぎして八つ裂きにする」程に。それは傍からみれば滑稽なほど空回りしていたのですが…