更にその前、7巻198頁の、墓所を「死を否定する、変われない存在」と断罪する頁も書き下ろしとなります。実はこの頁は、「生きることは変わること」と明言することで、不変の存在たる墓所の「生物性」も暗に否定しているものとなります。
ナムリスは弟ミラルパ統治の百年を肉体崩壊のリスクすらある「数十回の手術」の恐怖に耐えて乗り越え、土鬼大海嘯による混乱という僅かな隙を突いて実権を奪取、ほぼ徒手空拳で表舞台に踊り出した「忍従の人」です。そんな彼が、たかが首一つになったくらい(!)で「生き飽きて」しまうのでしょうか。
「野党を育て国を良くするための手段が政権交代」という呟きを見て、心の中の大佐が叫ぶ。
「ところで彼らは科学者なの?」
「科学者ならまず動物実験するから…」
「愚民はモルモット!くらいに思っていると」
「それ以上いけない」 https://t.co/iEspCug4Oa
なおこの幼いナウシカの回想で興味深いのは、父ジルたち「大人」の中にユパとおぼしき人物の後ろ姿が見えることです。あのユパですら、ナウシカが王蟲を匿い飼うことー蟲と人が共に生きることーを危険視していたことを示すようで意味深ですね。
事の起こりはナウシカ達より200年前。クルバルカ王朝末期の土鬼において「彼」は牧人の庭園に迷い込み、暫しそこに住まうこととなります。トルメキアの二皇子と同様、音楽に秀で、庭園のヒドラ達とも仲良くやっていたそうです。
かくて歴史は繰り返された訳ですが、この事は物語全体の結末にも暗い予感を抱かせます。即ち「果たして、ナウシカ(とチククやチヤルカ達)が土鬼の地に齎した平安は何時まで続いたのだろうか?」「人々は何時まで、腐海の畔で「憎しみより友愛を」保ち続けられたのだろうか?」と。
僧会自身の実効性となると更に怪しくなります。即ち、大海嘯発生に際し、都シュワの僧会幹部は全く何も手を打てませんでした。兵を集めるでもなく、あっさりナムリスによるクーデターを許す始末です。いくらミラルパが人事不省で、有能なチヤルカも生死不明とはいえ、あんまりな体たらくです。