まず正当性についていえば、僧会の統治はおよそ善良と言い難い点があります。僧会は部族間対立を上手く調停できず、民衆は僧会を収奪圧政者としか見ていません。僧会による民衆教化すら、民衆に混乱と絶望を蔓延らせるだけでした。
この性質により、例えば培養された幼生王蟲を用いた囮作戦には群全体が反応しますし、また土鬼大海嘯では、兵器たる粘菌をすら仲間と見なし、その心を救うために土鬼の地に集団で向かいます。
使いどころを間違えると精鋭部隊もなす術無く壊滅しかねないという話、漫画版ナウシカで拠点防衛に投入されたトルメキア第三軍(重装甲騎兵主体の野戦部隊)の壊滅を思い出しますね… https://t.co/Y87lDOxD45
氷河期世代の、特に男性は
・上からは「自己責任」「資格取れば」と嘲笑され、
・下からは「日本の敵」と憎悪を向けられ、
・AEDを使って救命してもオキモチだけで逮捕され、
僅かな慰めの趣味すら「キモイ」「性的消費」とイチャモンつけて叩かれる。
…端的に国挙げて「○ね」言ってます?
更にその信仰のなかでは、ナウシカが擬せられた青き衣の者/白き翼の使徒は彼岸・極楽としての「青き清浄の地」への導き手とされました。
そして末端、現場レベルでは富=奴隷の獲得にあります。人口減が続く本国では奴隷が高く売れるー ナウシカではないですが、こうしてみるとトルメキア戦役には上層部から末端まで、怪しい大義名分の欠片すら無いですね…正に末世…(そういえば「シュナの旅」でも最大の商品は人間にされてましたね…)
また、生命工学で言えば不死生命(ヒドラ)の創造と既存生命(人間)のヒドラ化も卓越しています。不老はともかく不死を達成できるとなれば、為政者にとってその魅力は抗いがたいものがあるでしょう(我らがヴ王は偉大なる例外(笑)ですが…)
まず海から吹く風により、砂漠の砂や腐海からの瘴気を谷から弾き出すことができます。また風の力で蟲笛を鳴らし、腐海からから迷いこんだはぐれ蟲を追い返すことも可能なようです。
まず戦争の早期終結については、土鬼兵の多くが農民であり、農繁期前にケリを付けねば兵士の動揺と農業崩壊を招くためですが、それだけではないと思われるのが、部族兵に対する皇帝・僧会側の不信です。
しかし、トルメキア側は最初からこの戦役で「土鬼の完全制圧」「シュワと墓所の占領」を狙っていました。だとすれば、シル川あたりで「ちんたら」やっている場合ではない…となります。
漫画版 #ナウシカ には連載版から絵はそのままで台詞がまるっと変わっている(!)箇所もありたす。たとえば四巻前半のユパ一行の会話。まずは単行本版がこちらになります(↓)