本日もまた、21時頃から漫画 #ナウシカ 考察の連投爆撃を敢行します。今回が墓所vs.ナウシカ対決の(いちおう)最終回を予定しておりますので、宜しければまた是非お付き合いください。
※今回以降も墓所以外のあれこれ考察/妄想は続きます。
そう考えると、母子の別れにもまた違った味わいがあります。目的達成の過程に齟齬があり、母が喜ぶ「立派な人」になれたか不安なオーマ。そんなオーマの死を心から悼むナウシカからは、たとえ噛み合わない部分があっても互いに労りあう=ナウシカになれずとも同じ道は歩めることが伝わってきそうです。
そして彼女(とアスベル)の本編で語られざる見せ場、マニ族説得編です。ユパ達と別れ、アスベルと二人で土鬼難民宿営地に潜り込んだケチャ達は遂に古巣マニ族の説得に成功、土壇場で皇兄ナムリスに反旗を翻させることに成功します。
ここで出てくるのが冒頭に述べた「分かち合うこと」です。では何を分かち合うのか?この場合には、ナウシカの説得の「責任」になります。即ち、ナウシカの説く戦争回避の道とは、「腐海の畔で慎ましく生きること」であり、戦争で多くの犠牲を出した土鬼の人々には容易には受け入れ難いものでした。
チククは、サパタ南のとあるオアシスでナウシカと出会い、以降行動を共にする少年ですが、ともすると「超常の力」+旧王族という便利なチート付の賑やかしに見え勝ちかもしれません。
一方、ここで #ナウシカ に戻ると、墓所がナウシカ一行に殺意を向けたのも、ナウシカ達が墓所の世界再生計画を否定した段階でした。この時墓所は彼女達を「希望の敵」と呼びますが、その直前に彼は自らを「唯一の光」と称しており、その意味では「希望の敵=希望たる自身を否定するモノ」を意味します。
なお、「突き詰めた平凡は才能」という点では藤子F御大の「並平家の一日」もオススメです。古きよき(?)一億総中流を体現する並平一家のモニタリングを通じ、生のマーケティングを実践しようという、正にSF(すこし、ふしぎ)な物語です。
こう見ると連載版⇒単行本版でユパの「師」としての言葉はその重みを増し、またクシャナもその言葉を(嘗て自分自身が捨て鉢に吐いた言葉の責任と共に)噛み締めることで、大団円における「王道」宣言により味わいが深まる…と思えるわけです。
【悲報】
本日の副社長決裁、二時間前倒し今から来い→やっぱ無理出直し!→本来予定から30分遅れで再予備だし→一件一件が異様に細かく進まず→電話で中断、廊下待機のまま昼休みに突入。
ぶっ飛ばしますわよしまいにゃ…(怒)