ワタシ「すいません具合が悪いので休みます」
偉い人「具体的にどこが悪いの?」
ワタシ「頭、根性、性根、あと待遇」
…という妄想を通勤中楽しんでおりました。が、そろそろ始業ですね(´・ω:;.:...
実際、クロトワがいなかった場合、クシャナ達の状況はもっとギクシャクしていたかもしれません。ある意味、重傷者クロトワの存在が捕虜でいる大義名分になるというか、ケチャ達にとってもあげた拳を下ろす理由になるというか。正に怪我の功名ですが、それが生きるのもクロトワの「コミュ力」故かなと。
そしてそれは、自らの信仰に対し「違う!私は生きるのが好きだ!私は諦めない!」と反駁したナウシカを肯定も否定もせず、「永く待った甲斐があった、優しく猛々しい風が来た」とあるがままに受け止めた上人の姿勢にも通じます。
というのも、ここで謹慎する、チヤルカ「以外」の僧会幹部に対する民衆の心証は、長年の圧政への怨嗟もあって最悪の状況でした。もしチヤルカがこの場にいなければ、それこそトルメキアそっちのけで「内乱」すら起きかねないでしょう。
王将にオレ達の黄金時代(オウゴン)が帰ってきたと聞いて、お昼にトリプル平らげてきました。
③「墓所」の主の籠絡に抗った結果、精神攻撃で自我を破壊された:最後はヒドラのエサに…?(´;ω;`)ブワッ
「庭園」自体隠されており、必ず遭遇すると限らない以上、シュワに辿り着いた者は居るでしょう。その場合、考えられる「末路」は以下の通りかと。
①神聖皇帝により邪教徒「青い衣の者」として処刑された:神聖皇帝の権力が確立した二百年前より以降は多分ほぼこれになりそう。
そしてこの点こそ、ナウシカが「森の人」と完全には一体化できない理由となります。彼女は、腐海の「外」に余りにも多く愛するものがあるのです。その意味でナウシカと「森の人」セリムの関係は、『もののけ姫』におけるアシタカとサンの関係を彷彿とさせます。
腐海から出ず、外界に依存しない「森の人」にとって、腐海とは正に「世界ノ全テ」であり、自身を含む腐海全体を一個の生命と捉えることで、彼等は深い精神的充足を得ています。この点は賤民としての劣等感が強い「蟲使い」と異なっており、作中の「森の人」を落ち着き洗練された人々としています。
まず改めて「森の人」についてまとめると、彼等はほぼ腐海の中で自給自足し、「腐海の一部」と化しています。火すら捨てたその超越的生き方は、外界との交易ー及び交易と不可分化した蔑視ーに依存する蟲使い達からは畏敬の目で見られています。