これに対し、セルムからは強い不信感が示されます。神聖な腐海を、偉大な王蟲を愚かな人間が作ったなどとは!腐海を神聖視し、その一部として生きることに誇りを持つ森の人には中々にして受け入れがたい話ですが、これが彼等の今一つの「危うさ」になります。
今週の #逃げ上手の若君 は頼重様サービス回で、いつも以上に暴走する頼重様がおもろかしいのですが、個人的には前々回の「失敗」に対し、直ちに対抗策を打つ小笠原サンの強かさが光っていました。こういう敵役がいると話がどんどん面白くなってイイですね。
以前腐海で聞いた「助けを求める南の森」、土鬼がどうやって王蟲幼生を捕まえられたのかという疑問、そして不安を隠すかのように心を閉ざす王蟲。これらの疑問が重なることで、ナウシカにとって「青き衣の金色の野」は大団円ではなく、寧ろ新たな探索・旅の始まりとなりました。
例えばクシャナは、一度はナウシカに己と相容れぬ部分を見出だしながら、仇のあえない最期で生きる意味を見失い、流浪を重ねた末に、ナウシカにはなれずともその指し示す道=王道を歩む決意を固めるに至ります。
そしてナウシカとの対決で手キズを負ったミラルパは療養中に兄ナムリスに謀殺され、あえない最期を迎えます…が、彼の霊体は成仏できず、暫しさ迷うこととなります。
ですが、ヴ王の元々の目的は墓所の地と技を手中に収めー更に歌舞伎版の台詞を借りれば「永遠に世界を支配する」という、極めて俗物的かつ、これまたナウシカと思いっきり衝突しそうな「愚行」でした。
漫画版 #ナウシカ 三卷の、瘴気で瀕死の兵士を懸命に介護するナウシカ、「母さん…」の呟きに強く反応しているところが、後に明かされる彼女の過去ー決して癒されない悲しみを教えてくれたが自分を愛さなかったーと重ね合わせると中々重い。
ですが、実際の蟲たちは人間の愚行(粘菌ばら撒き)に怒り狂うわけでもなく、不安に怯える粘菌を腐海に迎えるべく、自らが苗床となろうとしているだけでした。そこにあるのは只、仲間と見なした粘菌へのいたわりの心だけになります。
そう、やりすぎ。これは腐海の地下空洞についても言えます。実際、ここは毒もなく「清浄」なのですが、草木も生えない無の世界で、どうやって「庭園」がここを土生まれ緑溢れる世界にしたのかが謎なくらいです。
>引用RT元
某議員の、「私が正しいと認めたから正しいんだ」主張、どうしてもあの少佐の皮肉が脳裏をよぎってしまう(笑)。