こうした、「墓所の知が齎す絶望」と言う名の「服従への道」は、実は「庭園」において牧人がナウシカに投げかけたものと重なります。いわく、「世界の浄化≒人間の滅亡は不可避だ。なのに人間は飽きずに同じ愚行を繰返す」と。
そうしたナウシカの転機となるのが、②サパタ戦への「参加」です。ここで捕虜解放を求めるナウシカは、クシャナから交換条件として戦闘への参加を求められます
。ここで面白いのはクシャナの側の意図です。彼女は何故、ナウシカに「手を汚せ」(歌舞伎版)と迫ったのでしょうか。
即ち、彼等は腐海と蟲を「愚かな人間が汚した世界を浄化するために生まれた神聖な存在」として信仰しており(それ自体が厳しく云えばトルメキアの神官達が唱える天罰論(?)の裏返しにしかならないのですが)、そのことが腐海の「真相」から目を背けさせていたわけです。
蛇足すれば、これは「庭園」の牧人がラスボスたりえない理由ともなります。確かに彼(?)は過去に仕組まれた計画のサポートがその存在意義ですが、同時に計画の過程たる現在に生じる「悲しみ」を癒そうとする点で現在にコミットし、精神的に成長しうる存在と言えるからです。
ナウシカにして物語開始時には既に母はなく、出陣後は家族としての父を思い出すことも少ない状況です。トルメキア・土鬼両王家の骨肉の争いについては言うに及ばずといった状況です。