しかし巨神兵奪取を目的に加えてもなお、更にはたとえマニ僧正の反逆すら「超常の力」で予言していたとしても、それでもどうしてもミラルパ自身が出向かねばならぬとは思えません。ましてミラルパは、軍主力によるサパタ方位の本営から一時離脱(!)してまでこの作戦を実施しているのです。
まず作中での描写をおさらいすると、僧会とは、土鬼帝国の統治と民衆教化のためミラルパにより創設された、帝国の軍行政・宗教を担う僧侶の集団となります。同時にまた僧会は僧兵や「戦艦」などの軍事力を有しますが、こちらは対外より対内=諸部族統制の為のものであることは以前論じた通りです。
おはようございます。今日は夕方までお仕事です(´・ω:;.:...
城+アイコンのキャラクター「ちよ父」(『あずまんが大王』の登場キャラクター)から。ふぁぼりつの性癖から「白乳」とよく間違われる…
#みんなのアカウント名の由来教えて見た人強制
某NPOか某マスコミの土下座を公開配信しているのには、流石に一線超えて「やりすぎた」のではないかと感じる。傍から見た感想が、まんまヴァグラム戦後のメッテルニヒさんと同じになりますねこれは。
ことここに至り、チヤルカは遂に(土鬼の民を救うため戦を止めようとする点で)ナウシカの「同志」となります。それでもなお亡きミラルパに忠義を尽くすところがチヤルカらしいのですが、恐らくそんな愚直なまでの誠実さ故、ナウシカもチヤルカを「僧官さま」と敬意を込めて呼ぶようになります。
もしユパの推論どおり、「青い衣の者」が事実に基づく願望、或いは破滅の危機が高まるとき人類が生み出す存在であるならば。300年前に大海嘯と言う危難に見舞われたエフタル地域にも同様の伝承が強く継承されてもよさそうなものですが、なぜ土鬼や「森の人」のようにはならなかったのでしょうか。
「庭園」の牧人は告発します。シュワを目指す途中にここに彷徨いこんだ「森の人」は皆、それまでの生活で得られなかった安らぎを得て、良き園丁となって一生を過ごしたと。それは、この「庭園」の快適さも然りながら、腐海以外を知らないー腐海に依存し過ぎたー故の「脆さ」であったと思われます。
それは墓所/帝国の境目を曖昧にするためではないかと考えられます。即ち、実態としての土鬼帝国は墓所の承認/庇護を受けた土鬼皇帝が、自身のカリスマ=超常の力と、墓所から提供されたテクノロジーという「暴力装置」(を行使する僧会)により支配するものでした。即ち、真の主人は「墓所」なのです。