日本の感染対策はどこも無法地帯で、人権侵害が横行しました。マスクくらいすれば良いのにという人は、たまたまマスク着用が苦でないから言えるのでしょう。自分にとって苦でないことが、他人にとってもそうとは限りません。やりたくないことや無意味なことを強制されるのは苦痛です。尊厳の問題です。
日本の感染対策はどこも無法地帯で、平然と人権侵害が行われてきました。〇〇しないなら〇〇させないというのは強制と同意です。本当に強制ではなくお願いであるなら、従わないことでペナルティや不利益があってはならないんですよ。
富岳のシミュレーション画像のせいで、他人の飛沫が怖い潔癖が増えてしまいました。なんでも可視化するのは良くありませんね。でも、今まで気にせず生きてきたんだから、これからもそうするしかないんです。飛沫がなくなることはないので、寛容にならないとマスクも永遠に外せなくなってしまいます。
空気感染をマスクで防ぐことはできません。
空気感染は飛沫核感染と混同しやすいですが、空気感染の大部分は呼気による感染と考える方が現実と合致します。呼吸できる時点で呼気を防ぐのは不可能で、マスクを着けても呼吸の向きが正面から上下左右に変わるだけです。
コロナは空気感染です。
できる対策は換気のみで、マスクで防ぐことはできません。コロナにマスクは無意味です。
生きる上で何を重視するか、優先順位は人によって異なります。感染対策の重要度も、人それぞれ。重要だと思う人は対策すれば良いですが、そうでない人に強要してはいけません。今までがおかしかっただけで、どちらの意見も尊重され、それに伴う行動制限も受けないのが通常です。
悪意より、善意からくる暴力の方が恐ろしい。マスクは他人を守るもの。だから着けない人を攻撃するのは正しい。自分が正しいと思っているから、普通の人が豹変してしまう。直接関わることはなくても、マスクしないなら不利益を被っても仕方ないと差別を容認する人も多かったのでは?
「ルールだから守れ」で思考停止すると、ルールが変わった時に自分の首を絞めるかもしれません。ルールとは不変ではなく、無くしたり変えたりできるもの。ルールに疑問を持ったら、行動することでしか変えることはできません。だから理不尽なルールには抗議することが大切なんです。
基本的にはルールを守ることは大切なことですが、そのルールがおかしいものだったらどうでしょうか?どんなに理不尽であっても、ルールだからと思考停止で従いますか?それともルールを変えるために行動しますか?ルールとは普遍ではなく、時代の流れや人々の考えで変えることができるものです。