安倍晴明公は泰山府君神を信仰していました。
密教では泰山府君(太山府君)には毘舎遮(びしゃしゃ)という幽鬼の集団がつかえており、これは太山府君衆とも、死鬼(しき)衆とも呼ばれます。
そうすると、晴明公のつかった『式』とは、泰山府君神の眷属である『死鬼』であったのかも。と虚言を吐く。
宗教者に対して、こういう勘違いをしている人は、それなりにいるのではないかと思ったり。 https://t.co/5ycjrTPmpx
とあり、桃や柳に木には力の強い鬼王が住んでいるので、力の弱い鬼は近寄れないので施餓鬼の場所としてはふさわしくない、とします。
仏教的には、あくまでも、桃の木に住む鬼王を恐れて近寄れないのであって、桃果に鬼を祓う効果があるとはしていないと。⇒
一種の回帰運動であるともいえるわけで。
そういう意味では、そのための知識技術を保有している人がそれを解放してくれないなら、
宗教信仰で語られる存在、職業神との付き合い方、天文地理という世界の捉え方というのを、原始的な信仰形態からやり直すのも仕方がない⇒
『素麺と麺汁に、アゲダマ(天かす)でカロリーを追加』というメニューで命をつないでいた身としては、
それだけで美味しく食べられる商品を売ってくれた企業の努力には感謝しか無いのですよ。
宗教者さんであれ、宗教学者さんや実践者さんであれ、
あんまり一部の人が、『神仏の代弁者 』みたいに振る舞ってると、
『神仏が凄い存在なら、あなたを介さずに自分でメッセージ送るだろうし、そもそも自力で問題解決ができるはすでしょう』
ってことになる、
という見方もあるとは思ったり。
まぁ、拝み屋さんの昔ばなしなんて、自分の悪いことは書かないから、あんまり信じてはいけないという見方もあるのですよ。 https://t.co/D1kljd3UnU
霊場の云々、あんまり関係のない他宗教の末端宗教者さんまでドヤ顔でなんやかんや言ってるの、みっともないなぁと思わなくないこともないと。