7月5日に何かがおこるという話を、常識的に批判するのも良いけど。
『もしかして』と、人が不可思議な力を畏れ敬う気持ちを持たないなら、それはそれで『宗教』『信仰』『祈り』の必要のない世界だという事にもなるわけで。
天下泰平、鎮護国家、避禍招福を大いにやって見せて、不安を祓除するのも⇒
宗教的な話をするとき、『特定宗教の代表者、ないし末端』である宗教者に対しては、何か特別な条件がなければ、宗教教義に基づく『宗教的に正しい知識』を求めるのであって、
『宗教的な裏付けのない、あなたの思いこみや体験談』を聞きたいわけではない、
というのがあったりなかったり。 https://t.co/38me8aV7ho
あくまでも漫画の設定だけど、
心霊現象は『日常』ではないけど、『超常』でもない。
原因と結果という因果関係が明確なら、それを読み解いて『解体』や『無効化』することもできるハズという事になるという訳で。
説明できるなら、仏教の因果応報説でも、陰陽道/占術の陰陽論五行論でもよいと。⇒
滝沢聖峰先生の昔の漫画『安部窪教授の理不尽な講義』で、
『超常現象』を、
たとえ心霊現象であっても、原因と結果の説明ができ、因果関係がはっきりしているものは『ありきたりな事象』にすぎない。『超常現象』とは一切の説明を受け付けないものである。
と定義していて、面白いと思ったり。⇒
梅雨前線が姿を消し、雨が全然降らないので、雨乞い的なことをしようと準備をしていたら、
梅雨前線が復活したというニュースが流れてきたので、
『じゃあ、雨が降る前に雨乞しないと』とか本末転倒なことをかんがえて、あれれ?(・ω・;)となった。 https://t.co/6dPbmWVMSB
人間の体内に三尸の蟲が住んでいるのではなく、三尸である三魂や七魄や鬼が集合して身体を形成していると。
我が身の中には八万の家があり、それぞれに九億の蟲が住んでいるなら、
あるいは『自分』とは『蟲の集合体』であり、その総意として虚構の『自我』が形成されているに過ぎない。のかもと。 https://t.co/98H5x3jb4A
信者さん信徒さんのいない伝統宗教の施設は、その人達に対応する必要がないので、宗教者という社会的な地位を持ちながら、普通に働きやすく、なおかつ自分の為の宗教実践がやりやすい、という利点があったりするのだけど。
普通の宗教者さんからすると、それは好ましいことではないとされて以下文字数
宗教者さんを批判している人達にとっては、
宗教者さんが言うところの『自分達も生活が大変なんです』は、
天龍人の『深刻な食料不足』みたいなイメージなのでしょうね、
と思ったり思わなかったり。
変哲のない坂とか、方位磁石が正確に機能しない場所とかを特別視すると、それはそれで批判(馬鹿に)されるわけで、
結局のところ、『自分たちは特別だ』という前提で、自分以外のすべてを批判してるだけで。
宗教はあなたが他者をぶん殴る道具ではないですよ、と言いたくなる宗教者さん“も”いるなと。
そういえば昔、孔雀王で、
キリスト教の『契約櫃(ARK/アーク)』はヒンドゥー語のARGHAが語源で、意味は『大いなる方舟』だから『挪亞方舟(ノアの方舟)』と同じものだと言っていたけど、
何を根拠にしているのからずっと疑問に思っていたり。
#コレが正しい義務教育だ
創作物は基本的に『フィクション』であるから、
『フィクションはどんなに本当に思えても、実在の人物・団体・事件などとは無関係である』
ことを周知させるべきで、
『間違ったイメージが』とか批判するのは文字数