滝沢聖峰先生の昔の漫画『安部窪教授の理不尽な講義』で、
『超常現象』を、
たとえ心霊現象であっても、原因と結果の説明ができ、因果関係がはっきりしているものは『ありきたりな事象』にすぎない。『超常現象』とは一切の説明を受け付けないものである。
と定義していて、面白いと思ったり。⇒
梅雨前線が姿を消し、雨が全然降らないので、雨乞い的なことをしようと準備をしていたら、
梅雨前線が復活したというニュースが流れてきたので、
『じゃあ、雨が降る前に雨乞しないと』とか本末転倒なことをかんがえて、あれれ?(・ω・;)となった。 https://t.co/6dPbmWVMSB
人間の体内に三尸の蟲が住んでいるのではなく、三尸である三魂や七魄や鬼が集合して身体を形成していると。
我が身の中には八万の家があり、それぞれに九億の蟲が住んでいるなら、
あるいは『自分』とは『蟲の集合体』であり、その総意として虚構の『自我』が形成されているに過ぎない。のかもと。 https://t.co/98H5x3jb4A
信者さん信徒さんのいない伝統宗教の施設は、その人達に対応する必要がないので、宗教者という社会的な地位を持ちながら、普通に働きやすく、なおかつ自分の為の宗教実践がやりやすい、という利点があったりするのだけど。
普通の宗教者さんからすると、それは好ましいことではないとされて以下文字数
宗教者さんを批判している人達にとっては、
宗教者さんが言うところの『自分達も生活が大変なんです』は、
天龍人の『深刻な食料不足』みたいなイメージなのでしょうね、
と思ったり思わなかったり。
変哲のない坂とか、方位磁石が正確に機能しない場所とかを特別視すると、それはそれで批判(馬鹿に)されるわけで、
結局のところ、『自分たちは特別だ』という前提で、自分以外のすべてを批判してるだけで。
宗教はあなたが他者をぶん殴る道具ではないですよ、と言いたくなる宗教者さん“も”いるなと。
そういえば昔、孔雀王で、
キリスト教の『契約櫃(ARK/アーク)』はヒンドゥー語のARGHAが語源で、意味は『大いなる方舟』だから『挪亞方舟(ノアの方舟)』と同じものだと言っていたけど、
何を根拠にしているのからずっと疑問に思っていたり。
#コレが正しい義務教育だ
創作物は基本的に『フィクション』であるから、
『フィクションはどんなに本当に思えても、実在の人物・団体・事件などとは無関係である』
ことを周知させるべきで、
『間違ったイメージが』とか批判するのは文字数
江戸時代の黄表紙『夭怪着到牒/ばけものちゃくとうちょう』より。
○右ページ
『ばけものゝおやだま/みこし入道/あらわれ/手したの/ばけどもを/よびいだす』
左ページ。
○『入道のまご大あたま/こぞう あめのそぼ/ふる夜 とうふやを/おどかし/一てう/しめ/て/くる』
とあり⇒ https://t.co/b7QUmLZ3zy
江戸時代の、大衆娯楽の黄表紙の創作妖怪も『妖怪』としてカウントするのに、現代の漫画や小説や映画などから発生した妖怪を否定するのは、どんなものかしらと思ったり。
Twitterでは自分の好きなことを呟いていいし、その考えはおかしいとか思ったら、それに対して批判的なことを呟くのも自由ではあるけど。
とはいえ、わざわざ『相手が攻撃されるきっかけとなるような批判の仕方』をしなくてもいいのでは、と思わなくもないわけで。
○○警察と揶揄されたり自称してる⇒