外で(出張で)略式の護摩系の祈祷をするとか、拝むのに火の浄化力を使いたいとかいうとき、
護摩の壇木を束ねて上下を針金で縛り、つけぎ(ヤニの多い松)を差し込んだモノをつくると楽、というのが拝み屋さんにあったり。
・・・キャンプ界隈ではスウェーデン・トーチとか木蝋燭と言うみたいですね。
フレイザーの『金枝篇』で有名になった『類感魔術』『感染魔術』は、その法則を踏襲すれば自動的に機能する、というイメージがはやくにできてしまい、
それにはまっちゃうと、
神仏や精霊的な存在との良好な関係や交渉を前提とした加持祈祷は、人間本位の雑なものになってしまう、ということですか。 https://t.co/qooxiNcxRi
天体観測や和算をオカルトとして見るなら、
それは神の御業、
宇宙の運行の深秘、
世界の理という神秘を、
人が観測し解体し読み解く行為であると。
神秘は神秘側に属する存在にしか観測/理解できない、
とするなら、
陰陽師の『陰陽道の実践』は、それ自体が『オカルト実践』であると思ったり。
孔雀明王をダイレクトに拝む『孔雀明王法』というのはあまり伝わっていなくて、
孔雀明王を説いた『佛母大孔雀明王経』を介して拝む(という表現も正しくないですが)『孔雀経法』が普通ですが、これは大掛かりなのであまり修されないと。
(最近は略式の御次第がでましたのでそうでもないかも)
そういえば、夢枕獏先生の『呪禁道士』は1998年7月発売で、中味はサイコダイバーの毒島獣太の話で、陰陽師のヒルコは登場するけど、呪禁道士は登場してないよね🤔
ちなみに、漫画『孔雀王』で『呪禁道師』の王仁丸が登場する2巻が発売されたのは1986年11月。
ちなみに孔雀のライバルは迦楼羅天の加護を得ていたけど、名前が『鳳凰』なのは、
登場したとき、
すでに永久保貴一先生の漫画『変幻退魔夜行カルラ舞う!』が有名になっていたので『迦楼羅』がつかえなかった、と、荻野真先生がご自分のHPにかかれていた記憶があったり。
じゃあなんで陰陽師はその後に登場しなかったか、昔のヤフーブログとかで考察している人がいて。
有名な話で、荻野先生は孔雀王の第一話で、夢枕獏先生の小説『闇狩り師』の、魍鬼の設定とその退治の仕方をリスペクトしていたのだけど、それが問題になったと。そも孔雀という名前自体が→
荻野真先生、孔雀王の第一話に式鬼(式神)を持ってきて、『陰陽道の秘法』と云うぐらいには陰陽道を重視していたわけで。
そもそも一般人に『陰陽道の秘法』を教えたのは誰か、という伏線が1話目にあったとみることもできると。
漫画『孔雀王/荻野真著』だと、道魔(道摩)法師は呪禁道の呪術師で、この頃の王仁丸も『道魔家呪禁道師』という設定だったと。
式神ではなく式鬼を使役したり、五芒星でなく六芒星を守り印にしてたりと、陰陽道/陰陽師を意識してて、『呪禁は陰陽道に吸収された』説をいち早くとりいれたのかも。 https://t.co/NxI2d14cOG
人や動物の頭蓋骨でもって、人造鬼神みたいなのをつくる作法は実際にあったり。
まぁ外法ですが。
外法頭とか、永久保貴一先生の作品で有名になった記憶が。
なんかこう、
本人には悪気がないのだろうけど、
俗人は
現実の宗教者の行動とかねちっこく言わないで、
『宗教者は戒律を守る』
という『情報』で満足して、憧憬の眼差しで見ろ!
みたいなことを言ってる人がいるなぁと、
思ったり思わなかったり。