細かい設定は、
相手の悪いものをもらうとか、
代償として持っていかれるとか、
流派事にちがうのだけど、
ハガレンとかXXXHOLiCとかの影響で『等価交換』という概念で理解することが流行った時期も、
あるようなないようあ。
56億7千万年後に宗教的高位存在が人間を救うと信じている人が、
その宗教的高位存在が前倒しで今から救済を始めます、
という人を
『そんなの信じてるの?』
と笑うのは、
宗教信仰としては譲れない部分ではあるとはいえ、
それはそれとして、
そっくり自分に帰ってくるのでは?
と思ったり。
物の怪らんちき戦争、すごく印象に残ってるのが
大した力をもたない
『小鬼』が
『瘴気』を得てチカラを持ち
『鍾馗』になる、
という、
『発音が同じなら、異なる存在を重ねることができる』
という類似の法則をうまく使ってるこのページ。
まっとうな本を買うか、
FGOのガチャ引くかで悩むの、
本当にいやなんだけど、
財布は
『両方やめろ』
と申しております。
その間違いを訂正してるのに、
学問的により正しいといえる『はれあきら』ではなく、『はるあきら』を使っているの、ちょっとモヤっとくるのは、
『せいめい』を使うと『正しい陰陽道史ではない』と叩かれるのが予想できるから避けてるだけで、学問的な正しさを尊重してるわけではないのかと思っちゃう
まぁ、拝み屋さんの昔ばなしなんて、自分の悪いことは書かないから、あんまり信じてはいけないという見方もあるのですよ。 https://t.co/D1kljd3UnU
変哲のない坂とか、方位磁石が正確に機能しない場所とかを特別視すると、それはそれで批判(馬鹿に)されるわけで、
結局のところ、『自分たちは特別だ』という前提で、自分以外のすべてを批判してるだけで。
宗教はあなたが他者をぶん殴る道具ではないですよ、と言いたくなる宗教者さん“も”いるなと。
理論的には『1円玉6枚をエネルギーに変えると、東京ドームいっぱいの水(12億4000万リットル)を沸騰(0度から100度)させることができる』らしいけど。
仏舎利がどれだ軽かろうと、実体をもたない(希薄な)何かを集めて物質を作り出すのは難しいのではないかと思うのですよ。
安倍晴明の『晴明』をどう読むか問題。
学問的には『はるあきら』等と読むのが正しいのだろうけど、
現代、福井の方々とか何と読んでいるのだろうかと。
福井の方々から、訂正の声があがった事とかあるのかなぁと思ったり思わなかったり。
1876年、空から御札がふってきて『ええじゃないか』の発端になった時、
陰陽師の土御門晴雄は
『天上よりみだりに守り札ふりそうろう道理はこれなく、全て邪法邪行の者の所為にてこれ有るべくと存じそうろう。 吉凶の有無は、これ無く存じそうろう』と占ってるけど、→ https://t.co/2RdaU6g0Pr