京極堂が行っているのは、『神通悪魔縛の妙術』で、
修すれば『邪気妖怪等凡て障りを為すものは一切消散する』とされ、
昔は結構人気のある作法だったようです。
①鎗之印
謹請甲弓山鬼大神、此座に降臨顯向し邪氣悪鬼を縛り給へ。無上靈寶神道加持。
②日之印
謹請天照大神、邪氣妖怪を退治し給へ。
7月5日に何かがおこるという話を、常識的に批判するのも良いけど。
『もしかして』と、人が不可思議な力を畏れ敬う気持ちを持たないなら、それはそれで『宗教』『信仰』『祈り』の必要のない世界だという事にもなるわけで。
天下泰平、鎮護国家、避禍招福を大いにやって見せて、不安を祓除するのも⇒
諸星大二郎先生の『マッドメン』の最後で人類学の学者が語る、
神話は昔の人間の世界観をうつしたものであるから、人が変われば神話も変わっていく。変わらないのは『死んだ神話』だけ。
という考え方は、ナカナカに意味深で、私たちの世界観が時代によって変わっていくからには、神話もまた変わる⇒
本日24日は地蔵菩薩尊の縁日です。
民間の拝み屋さんの伝に、
六道世界の救済をする六地蔵菩薩の総真言として
唵 伊伊 娑婆訶
(オン イーイ ソワカ)
というのがあります。
これは、初めの伊(イー)が勝軍地蔵を、
次の伊(イ)が六地蔵尊をあらわしますので、実際には七地蔵尊の総真言となります。 https://t.co/rA4HUs35Gz
スピリチュアルやオカルトが、修行や転生で霊的ステージを上がるとか、魂の進化とかいうと笑われるけど、
例えば輪廻転生は地獄⇒餓鬼⇒畜生⇒修羅⇒人⇒天⇒仏と階層を登っていくものだし、
四生だって化⇒湿⇒卵⇒胎と進化して行くものともみれるわけで、
端から馬鹿にすると見えないものもあると。
私が奇行をなすスピリチュアラーさんや、妖しいセミナーに大金をつぎ込む人を、あまり否定的には語らないのは、
あの人達がオカルト(宗教や信仰、それにもとづく呪術等)に目覚めたとき、その話を聞き、誠実に対応し、批判し、根気よく良い方向に導びいてくれる先達や仲間に出会えなかったから、⇒
奈良で蛇行剣というと、『石神伝説/とり・みき著』という漫画がありましてね。
prime会員だとKindleで無料で読めるので、古史古伝の好きな方にはオススメだとおもったり。
残念なことに未刊ですが。
ちなみに、明治大正頃の本でも、檀拏を『棒』ではなく『髑髏』『頭部』の意味としているものがあったりしますので、
本来的な意味はさておき、
むかしはそういう意味で、使われていた可能性はあったり。 https://t.co/Br3JcgAjso
一種の回帰運動であるともいえるわけで。
そういう意味では、そのための知識技術を保有している人がそれを解放してくれないなら、
宗教信仰で語られる存在、職業神との付き合い方、天文地理という世界の捉え方というのを、原始的な信仰形態からやり直すのも仕方がない⇒
陰陽師の使役したとされる識神(式神)の事を考えた時、
例えば安倍晴明公は、密教の焔羅王供行法次第を元に泰山府君祭をつくったとされますが、焔羅王尊こと閻魔天尊は死王とも言い、世俗では『識神』と呼ばれたという話があります。
また、閻魔天尊の眷属に五道大神尊という方がおられるのだけど、⇒
とあり、桃や柳に木には力の強い鬼王が住んでいるので、力の弱い鬼は近寄れないので施餓鬼の場所としてはふさわしくない、とします。
仏教的には、あくまでも、桃の木に住む鬼王を恐れて近寄れないのであって、桃果に鬼を祓う効果があるとはしていないと。⇒