宗教者さんであれ、宗教学者さんや実践者さんであれ、
あんまり一部の人が、『神仏の代弁者 』みたいに振る舞ってると、
『神仏が凄い存在なら、あなたを介さずに自分でメッセージ送るだろうし、そもそも自力で問題解決ができるはすでしょう』
ってことになる、
という見方もあるとは思ったり。
漫画『変幻退魔夜行 カルラ舞う!/永久保貴一著』は、主人公の扇姉妹が九字護身、池田近江が九字切り、剣持司が六甲咒と、主要メンバーが全員『九字』を使っていながら、全員違うという、九字好きな人にはたまらない作品だったりします。
もともと正座は、神仏を礼拝するときの座り方であったという説があるのだけど、小笠原貞宗はそれを人に対する礼儀としたわけで。
それは神仏をその座から下ろして、そこに人を置いた、都も解釈できるわけで。『逃げ若』で正座のエピソードを描いてるのは、そういう含みがあるのかもと思ったり。
今現在、某聖地で争いがおきていないのは、過去において充分過ぎるほど血が流されたから、住み分けているだけで、別に仲良くしているわけじゃない、という見方もあるとおもったり。
ないと。
神話においては、神は人格神であり、人のように喜怒哀楽の感情をもって振る舞う存在であるわけですが。
宗教者サイドが『人格化した神』として布教しているのに、
俗人側が『人格神』として信仰してその人間性に期待したら、本当の神様はそんなんじゃないと梯子をはずすのも
宗教的には正しいとは言えない、拝み屋さんの話。
所謂『護身法』は
①浄三業
②仏部三昧耶
③蓮華部三昧耶
④金剛部三昧耶
⑤被甲護身
の5つにわかれています。
密教では人は本来的には悟っているけど、
身体が生む悪業、
言葉が生む悪業、
心の働きが生む悪業
によって隠されているとします。
⇒
江戸時代の、大衆娯楽の黄表紙の創作妖怪も『妖怪』としてカウントするのに、現代の漫画や小説や映画などから発生した妖怪を否定するのは、どんなものかしらと思ったり。
仏説安宅神咒経に、釈尊は諸々の龍に命じて道場の四方七里を金剛堅固の地面にした(七里結界金剛宅)とあります。
修験系ではこの経典を元に、四方に中央を加えた五方に五帝大神龍王がいるとし、それを五大明王の垂迹として結界を張ります。
柴(採)燈護摩では宝弓加持で、その他では外五鈷印を結びます⇒
日本神話における『オオカムヅミ』の神様は『大いなる神の実』の擬人化とみれば『桃の木の“果実”』の神格化なので、
仏教の桃の木の考え方と異なると。
後天八卦では、東は『震(☳)』。『震』は『震動』すなわち『地震』。『震』はまた、『辰』すなわち『龍』であるから、『地震』を鎮めるには青帝大神龍王尊の東方に向かって祈念申し上げる云々。 https://t.co/EPtrunwzWP
スピリチュアルの言う宇宙銀行とやらがあるかどうかはともかく、
意の如くに宝を生み出す如意宝珠や、宇宙の無限の富と智慧を蔵する阿迦捨掲婆耶(アカシャギャラバ)の仏格化である虚空蔵菩薩尊を信仰し礼拝する密教修験系が、その存在を信じることをばかにするのはどんなものかしらと思ったり文字数 https://t.co/CDZBNpwZBL