電車で吊革が掴めない世界になってしまったので、車体が揺れるたびに、稲妻のような速さのジャブの感じで吊革を掴む必要があるので、基本電車内では常にジークンドーの構えで過ごすようになってしまっています。 
   BSで劇的ビフォーアフターの再放送をやっていて、「受験で忙しいのに、妹がうるさくて勉強できない→集中できる部屋が欲しくて匠に相談」という回で、伊藤潤二先生のこの話の実写版かと思いました。 
   藤子A先生の「少年時代」の初めてかりんとうの存在を知って、どんなに美味しいものなんだろうと想像していて、初めて食べた時の「あれ…こんなもんか…」感をすごく良く覚えてて。
以来、人生に期待して肩透かしを食らった時は、なぜかいつもかりんとうの事を思い出します。 
   「ちょっとしんどいなあ」とか思うとき、なぜかいつも柴千春のこの場面が頭に浮かんで結果思い出し笑いしてしまうので、めっちゃ結果オーライ 
   午前には「これさえ乗り越えれば他に何も望みません、一回だけ助けて神様ー!」とか思ってるくせに、夕方には「あのー神様、1件追加なんですけど、午前より全然ヤバいヤツがありまして…」とか新規案件追加していくように、人生基本、相対性の海の中で泳ぎ続けるしかなくて楽しい 
   「組織の中で仕事を頑張る」と「会社への愛社精神的なものは皆無」はぜんぜん両立すると思うんですが、後者の方にも両足突っ込むことを要求されるとすごい戸惑ってしまいますね。
それより007観に行きたいんで帰って良いですか…ってなりますね