内山先生が画期的だったのは(今でいう)ユニバース目線をウルトラに入れたことですよ。円谷ってその辺適当だったからウルトラマンキングなんか後に残すつもりなかったと思うんすよ。セブン上司と同じで。だからジャッカル編でキングが一族の長みたいに出てきて凄く驚いたよ。そこちゃんとやるんだ!と。
〔ザ・ウルトラマン重箱の隅情報〕
ジャッカル編て何度も単行本化されて内容も同じだと思われてるんだけど微妙に変えられてたりするのね。台詞とか。単行本化で修正が入るのはわかるけどその後も微妙にいじるんすよ。例えばこの書き文字。初出の雑誌版はミスだと思うんだけど何度も微妙に修正すんのよw
今話題騒然、メロスの一人称が収録の度にコロコロと何度も変わり過ぎ問題について語りましょう。そもそも初出の雑誌掲載版で「おれ」表記で別に何の問題なかったのに何故その後何度も変わったのか?
魔美みたく社会派ネタを扱う作品は情報ルートがないと先々困るなという新聞社勤め設定なんだろけど多分F先生も連載初期段階で少し都合良すぎるな…と思ったんだろね。やはり同じ情報に触れるでも魔美が地下道でホームレス見て「あの人たち何?」と素で訊いちゃうとか肌感覚から社会との接点を作らないと
子供世界から一般社会への橋渡しってF先生も凄く気を遣ってて。魔美ちゃんのお母さんが新聞社勤めなのも本来それが目的だと思うのね。こういう風に。でもやっぱ情報の伝達利便性だけだと話弾まないのよね。どこかに稚気がないと。そこでスネ吉兄さんですよ。能力と稚気を兼ね備えた理想のモテない兄貴w
ドラえもんってリアリティラインが大切な漫画であくまで子供の世界の話なんですよね。大人側も本気でこちらには深く絡んでこないルール。でもスネ吉兄さんだけは子供側に半分足を踏み込んでくる。「あの不思議な力を持ったロボット…」という台詞ひとつでこちら側にラインを踏み越えてくる。見事だよね
藤子F先生の世界でパーマの大学生というのはいけ好かない憎むべき存在として描かれるんだけどスネ吉兄さんだけは敵役でありながらどこかしら作者から愛されてる感じがするのは多分モテの匂いが微塵もないからなんだろうね。カウンタック買ってまずやるのが従兄弟の小学生に見せに来ることだもんなー。
マジンガーZって初期案通りパイルダーがバイクだったらより面白くなってた可能性があるよな。自宅と光子力研究所が離れてて毎回そこに辿り着くバトルを想定しての操縦席バイクだったんだろね。原作に残滓があるけど。研究所でパイルダーに乗ってそこでマジンガーZに合体ってプロセス的に意味ないもんな