わたしの世代であの「色気のあるメーター」に憧れなかった人間はいないんじゃないか。松本零士先生、ありがとうございました。
谷口菜津子『じゃあ、あんたが作ってみろよ』。「他人の目線に立つ」とはどういうことか? 頭の中が昭和な男が結婚目前に彼女にフラれる。でも彼女の料理の味が忘れられず初めて台所に立つ。その時男は彼女の目線に立つ。物理的かつ心理的に。食事を作る苦労。その場所から自分がどう見えたか。(続
もうみんなTwitter10年やってるんだからそりゃ似た話ぐるぐるするさ。いま必要なのは神林しおり嬢のこの開き直りじゃない?
それにしても生理の詳細ってどうしてここまで語られないんだろう。たとえばマンガであれば生理がプロットの根本に関わってくる作品って安永知澄『やさしいからだ』くらいしかパッと浮かばない。
曽根富美子『断崖 母なるもの』、全員読んでね。昭和初期が舞台の話だけれども、あれは岡村隆史発言とも直結で繋がる現在の話よ。
大島弓子『あまのかぐやま』をつらい夜に読み返します。感動的な話ですが大島弓子の代表作という訳じゃない。大事なのはわたしが「LaLa」を欠かさず毎月買う男子高校生だったことと、16歳のときに16歳の主人公と出会ったこと。つまりこのマンガの主人公は何年経とうが永久にわたしの同級生なのです
アーサーのように孤独で、アーサーのように妄想力たくましく、アーサーのように職もなく、アーサーのように狂気にとりこまれてしまった人物として、いちばん近いのは山岸凉子『天人唐草』の主人公じゃないかと思う。それでもぜんぜん悪の道には進まないけど。