こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
今週の逃げ若、雫と亜也子の話。
後から来る正室とちゃんと言ってる辺り、
熱田大宮司家の正室と信濃で時行が娶った妾の伝承を意識している感がありますね。
伝承そのままやるかは判らないけども、連載が長期化すれば、亜也子か雫が妾に、尾張国で妻を迎えるなんて展開もあるのかも。
#逃げ若
『いくさの子』と言えば結構意欲的な作品で、今川氏の尾張奪還説の描写が多くて当時は新鮮に感じました。
織田氏視点で「あいつら未だに尾張が今川の領地だと思ってやがる」的な描写はいくつかあったのですが、今川氏統治時代の描写は物足りないかも。(贅沢な感想)
いい波乗ってんねぇ!
といえば岩松経家の弟である岩松吉致の印象が強い。
ド派手な唐梅紋の海賊旗を掲げて後醍醐天皇の窮地を救ったりしているけど兄の経家と一緒に飛騨守護+地頭だったりする。
逃げ上手の若君では新田氏相手に岩松兄弟は波沖で大活躍するかも知れませんね😳
名越本を書くために史料群ではなく、解説書でお勉強させて頂きます。
取り敢えず名越流から離れて鎌倉時代の全体的な理解から復習。
今川名越を理解する為の名越本を企画中。
#新九郎奔る に斎藤加賀守が出てきた。
この一族、駿河(丸子)で途絶えたかのように言われているのですが加賀守の息子が那古野(厳密には熱田)にきていて、今川竹王丸の側近として活動しています。
竹王丸共々勝幡城で織田信秀から饗応受けるなど那古野の今川家を盛り立てています。
導誉最愛の人
『佐々木文書』の表現では「ミま」という女性に向けてひらがなで書き綴っているように見受けられる。
しかし、足利義満による安堵を背景に考えると「ミま」は導誉の孫六郎左衛門にも推定され、後家の「北」に託すとする文意にも捉えられる。
上手い事落とし込むもんだなぁ😳
#逃げ若
実在
名越氏に養子に入ったとされる伝承が残る名越重時、北条重時と名前が被ってるけど先ずは実在してるかを確認。
伝承が伝える通りの赤橋流の甥っ子ではないものの苅田流北条氏に赤橋登子の従姉弟にあたる人物に重時を確認。
系図に関わるのでしっかりと裏付けを取っていきたいと思います。
稲生の戦い
今川氏豊の家臣であった大秋十郎左衛門は織田信秀によって氏豊が敗走すると織田家中の林秀貞の与力となって生き延びた。
那古野城の林兄弟、米野城の中川弥兵衛と共に荒子城の前田利昌を謀りで事前に
調略し清洲〜熱田間の路を完全に封鎖する事で織田信長を追い詰めた。
(画:いくさの子)
池殿屋敷
池禅尼が熱田大宮司藤原季範の叔母とする伝承がかなり色濃く残ってるんだけども系図上は全く異なるし何処を典拠にしてるんだろう…
そして池禅尼が住んでたとされる熱田の池殿屋敷が頼朝出生地と伝わる場所(当時の熱田大宮司家の邸宅)の真隣なんだが此れはいったい…
木下聡『増補新版・中世武家官位の研究』
を入手しました。
旧版は何度か目を通していたのですが、増補をきっかけに購入しました。
改めて律令制官途などについて勉強したいと思います。🙏