AIによる生成画像の話題で持ちきりの2023年だが、これについて1976年の時点で手塚治虫がブラック・ジャック(U-18は知っていた)で描いていたことは指摘しておきたい。連載当時「そんなアホな」と思ったことも記す。この「曖昧な生成画像」という想像力、リアリティが凄い。大好きなエピソード。 https://t.co/YPF53uehU4
昔、MSXの最末期に、なんか悲しい出来事を一杯見た。みんなの善意が悪い方向にしか転がらないという。みんなもういい大人なんだから、あれの繰り返しは避けたいなあ。
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たまに要望がある素材もフリー化して貼っておくので好きに使っていいよ。
ドラえもんの最終回は何種類かあって、なかでも感動的なのは、ネズミが苦手なドラえもんに対し、それをはるかに上回るコモド・ドラゴンが放たれる回スよね。ウ…ウソやろ、こんなことが許されていいのか!
もうこんなことを描くマンガは登場せんと思う。理由は描ききれないから。描いている内に時代も価値観も変わってしまうから。陳腐化してしまうから。だけどそれを理由にこうした挑戦がきちんと評価されなくなるというのは、ただの大風呂敷と並べられてしまうのは、非常につまらんことだと思うんだ。
「はだしのゲン」とか「カムイ伝」とかの、その時代における最も気高い、尊い、本来しなくてもよかった創作上の努力が、訴えが、いつか時代の変化とともに無価値となったり、別種のプロパガンダに取り込まれたりしていった過程について、オレらは記憶するだけでなく、どこかで記しておくべきと思う。