多分視線の感じから浜松町駅あたりを見下ろしてると思われるスパイダーマン。タワーのてっぺんなので、増上寺あたりを見ていたであろうデビルマンより若干遠い。
マンガにおける「頭部のセルフシャドウ表現」というと「北斗の拳」の、ジャギ戦のケンシロウが嚆矢であると自分は思う。「こんな高度な表現をマンガでやるのか」と、当時度肝を抜かれた。「森田まさよしの学生服」がそれをコモディティ化したと思っている。こんなの毎週描いてたんだぜ。すげえだろ。
関係ないけど森田まさのりは昔から凄まじく絵がうまい。既にあるものを上手く描くのは当たり前なんだけど、「学生服」というものをこのようにベタとトーンで、特に自分の頭部の落とす影を黒くベタで塗ってカッコよく描くというのに心底ビックリした。学生服の描き方の常識を変えたと思う。
ここ数日このニュアンスが気になっている。すっごいわかる。実は「一銭洋食」の昔からお好み焼きというのは形而上の食べ物ではないかという気がしている。どこかに「ほんとうのお好み焼き」というのがあり、昔食べて今はない。あるいは紛れもなくここにあるとする。それはもはや宮沢賢治の世界なのだ。
マンガはこういう塗りをしなくなったのである。必死にここから離れたと言っていい。カラーインク、アクリル…あらゆる技法を試し、CGになり、AIまで使って、今やこの塗りが懐かしい。ああ真っ赤っ赤。まっ黄っ黃、ああ淡色グラデ一発、これでいいじゃないか。なんでこう塗らないんだ。