オタクの発生した根底に、第三次ベビーブームを生むはずだった巨大なリビドーと、それが満たされなかった歪みがあるというのがオレの意見である。同じようにして学生運動とその尻尾の世代の根底には、総括しきれない屈辱を現世利益で糊塗しよう、自己肯定しようという意思があったのだとオレは思う。
「学生運動を曖昧にした世代のモチベーション」についてオタク世代は甘く見ていたように思う。ほとんどは他人事にしか過ぎず、バブルを享受し、物質的には特に不自由なく育ったようでいて、実は自己肯定の機会を、要するに現世利益を渇望していたのだ。虐待された幼児のメンタルを思い起こさせる。
島耕作のスタンスとしては、マンガで文革期を振り返った「チャイニーズ・ライフ」が思い浮かぶ。要するにこの現場猫である。過去については「オレじゃない」「アイツがやった」「知らない」「済んだこと」と切り捨てつつ現世利益に執着し、その自己を肯定するのに躊躇がない。まあ辛かったんだろう。
島耕作を長年読んで謎だったのが「自己肯定への貪欲さ」である。学生運動でコテンパンにされた世代だろうに、懲りてるようで懲りて無い、というかずっとあの失意の自分を肯定したかったのだろう。総括するのが死んでもイヤだったのだ。総括という名の自己否定をされる屈辱が身にしみているから。
(「この人痴漢です」のバリエーションを考える)
「この人痴漢ですぞ」
「ペロ…これは痴漢」
「ギギギ…違う、これはただの痴漢行為じゃ…」
「オッス! オラ痴漢」
「だが、それがいい」(やめろ)