SNSで有効なのは、「ほどよく目に刺さる」ことであって、個性的すぎたり情報量が多すぎると即スルーな気がする。これなどは2019年にペインター2019を買ってしまった記録だが、あまりに濃くて目にうるさく誰も読まない上にペインター2019は6年後の今日もデータの底に埋もれている。
先日新世界の「てんぐ」で撮った写真。オレこの店に30年以上通ってるけど、久々に行ってこれ見て涙出そうになった。キン肉マンも串カツもよかったなあと思った。 https://t.co/6xdlDvE6Wm
この畳み掛けるようなカットの積み重ねである。昔のマンガの伝統からこうなのだが、完全に別の技法になっている。凄惨で深刻な内容を、しかし一度突き放すように平板に構成する。そこから湧き上がる何かである。こんな恐ろしいコマ割りようやらん。
羽根章悦は永井豪よりもよほど絵のプロフェッショナルである。それがこのように描く。つまり最初からわかっていて大嘘をついている。線は一本でも少ない方が良い。曖昧な解釈を整理し、逆に目と口元の、本来絶対繋がらない線をも繋げている。これ以上線を増やせば別の破綻が生じるからだ。
だいたい前回はアクリルガッシュをちゃんとやろうと思ってそれがペインター2019に化けて、結局埋もれている。あの時コピックを買えばよかったのだ。どれだけ安物買いの銭失いを繰り返したろう。ああコピックがよかった。コピックさえあれば…
横山光輝の、山田風太郎からと言われるチームバトルにせよ、吉川英治からと言われる頭脳戦にせよ、実はそうまで濃厚な応酬、練り込みは本家にないのな。週刊の速いテンポでこれが繰り返される。これこそ横山光輝の発明と言えるのかもしれん。見よこの詰将棋のような見事な頭脳戦。ドキドキハラハラ
前も書いたが手塚治虫「安達ケ原」の見どころはここだと思う。コールドスリープ刑の活動家が、革命が成功した未来において権力者の走狗となる。当時の学生運動や革命ごっこへの痛烈な皮肉、肥え太った大統領にさりげなくダモクレスの名を配するバランス感覚。これができるのは手塚しかいなかったろう