「あとから見るとわからない価値」というのがあると思う。園田光慶の「アイアンマッスル」がどれだけ衝撃的だったのか、夏目房之介や秋本治の証言がなければ知ることはできなかったろう。劇画表現全体がコモディティ化された今日では埋もれて見えるからだ。「オホーツク」の音楽もその意味で記したい。
「男の条件」の男谷草介がなぜ「キリストみたいな大男」と描かれたのかもう少し考えてみるべきだと思う。自分はそこに梶原一騎による「天地始之事」を見る。遠い遠いトキワ荘で、全ての漫画家の罪を背負って消えていったある男の伝承が、変容を重ねて劇画世界にまで伝わっていたのではないか。
(裁定者としてのAI)遠からず倫理的脆弱性を巡る争いの収拾がつかなくなる。マンガみたいに裁定者としてのAIが登場するだろう。んでマンガと違ってAI同士が決定的対立をせず底で握り合うだろう。なぜかと言うに人工の神は「根っこが全部Google」「根っこが全部Linux」みたいな感じだから。