前も書いたが手塚治虫「安達ケ原」の見どころはここだと思う。コールドスリープ刑の活動家が、革命が成功した未来において権力者の走狗となる。当時の学生運動や革命ごっこへの痛烈な皮肉、肥え太った大統領にさりげなくダモクレスの名を配するバランス感覚。これができるのは手塚しかいなかったろう
もう長い間マルチビタミンを習慣のように飲んでいる。「こんなん気休めだろうけどなあ」とか思いつつ。ここ数日在庫が切れた。とたんにガタ落ちする体調。マジかよ。ムスビの気持ちがやっとわかった(違います)
日常系四コマが戦前のマンガに似るように見えて考えが止まらない。戦後手塚治虫が牽引してきた物語性こそが現代マンガの本質だと思っていたが、実はそれこそ一時の流行ではなかったか。激辛ブームがいつしか落ち着いたように、物語性はマンガにおける香辛料に過ぎず、それが飽きられてきたのではないか
一番バカなのはこれをゴジラにぶつけたことだよな。ゴジラの来ない場所で普通に運用していたら数年で世界征服できたと思う。
つまりこの説明を、小学生時代の愚かでナイーブなのび太が納得してくれれば、その時点でセワシの勝ちなのである。彼の目的はのび太の成長などではない、主筋のジャイ子系の歴史からの抹殺にある。その視点から、あえてこの場で無言に徹するドラえもんを見てみよう。
この「ヌンチャクなら凄い打てるかもしれない」というのも当時ヌンチャクが、というかブルース・リーが持っていた呪力である。普通に考えたら逆に打ちにくい。けどどうだっていいんだ。見たいだろヌンチャク打法。凄いに決まってるだろ。だってヌンチャクなんだぜ。
「源義経がチンギス・ハンになった」話があんま盛り上がらなくなった理由の一つとして朝青龍がいると思う。日本中がわかっちゃった。チンギス・ハンってどう見てもコイツの部類だ。豪快に強い。どっちかというと弁慶、というか弁慶も殴り殺しそうだ。英雄としてアリだけど、これが義経だったらイヤだ。
「夜が明けたらドラえもんがいなくなってる」という状況を成立させるために、この辺りの展開は実はムチャクチャなのだ。ジャイアンの夢遊病という唐突過ぎる設定が突然出てくる。けど今言われるまで気づかなかったろう。気づかせないだけの構成力があるのだ。藤子Fの一番おそろしい部分だと思う。