一見爽やかなシーンだが、聞こえる動物の声というのが「チュンチュン」とか「ピッピッ」ではなく「ギャーギャー」「グエッグエッ」というあたりが最高。
羽根章悦は永井豪よりもよほど絵のプロフェッショナルである。それがこのように描く。つまり最初からわかっていて大嘘をついている。線は一本でも少ない方が良い。曖昧な解釈を整理し、逆に目と口元の、本来絶対繋がらない線をも繋げている。これ以上線を増やせば別の破綻が生じるからだ。
なので「8bit年代記」の手塚先生編(後編部分)を捧げます。多分皆さんの知らない手塚先生ではないかと思います。よかったら読んでみてください。(1/2) https://t.co/MXUFJ63SlV
この絵だからこれができるのよな。逆に言えば最近の緻密なマンガ絵ではもうこれはできないのな。やっても別の意味になるのな。「マンガ」の本質のようなものがここにあるように思う。
この話題でもう一つ指摘しておきたいのは、連載当時梶原一騎&読者の間で既にソースライスが「貧乏飯」のイメージであり、それ自体は間違いではないのだが、昭和初期においておそらく各家庭にまだウスターソースが常備されていない状況で、一応の「それなりメニュー」であった可能性の忘却である。