体重30kgの子供の自由落下における終端速度は、腹ばい姿勢で約41m/s(時速約149km/h)直立姿勢で約67m/s(時速約243km/h)程度と推定されます。…だそうなので、パーマン主題歌の91キロとか119キロとかは結構リアルな数字なのかも。
ドラえもんには藤子Fの祈りのようなものが込められていて、例えばスネ夫はこんなことも言うんだ。短編の役割的にたまたま…というのもあるんだろうけど、読者はこういうスネ夫を見て、彼の嫌味の裏にある複雑なものを愛するわけだ。これが単純な成金キャラになっちゃうと、ちょっと勿体ないかな。
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スポーツを描く上でやらないと決めていたことがあって
・打者を殺してストライクにしない
・ピッチャーが投球後に死なない
・アフリカに行かない
・おまえスポーツ描いたことないだろ
などです。
大友克洋の今日における認知の具合というと「蛍光灯の発明者」あたりが適当ではないか。とんでもなく偉大な発明であり、まさに一世を風靡し、世界中に溢れ、いつしかあって当たり前になり、さらにLEDの時代となって、世間はエジソンの電球をまず思い浮かべる。蛍光灯の発明者の名を知っているだろうか… https://t.co/WFoQUQiFAf
オリジンのドズルやシャリア・ブルが、過剰に「マンガ」だったことは指摘しておきたい。本来そうではなかったのであり、そうすることが望ましいと安彦良和は思っていたのだ。それはおそらく「人間」は描きたくとも「格好良い軍人の典型」などは描きたくないという世代的な態度のあらわれなのだろう。
この「ナンジャモンジャ料理」「うどんかそば」というのを忘れずにいたい。未知のものは一切が否定され愚弄されるべきなのである。なぜならば己の無知を暴かれるようで不快であるから。自らの狭い世界の嗜好こそが共有され、絶対視されるべきなのだ。この強烈な狭量や嫉妬の裏返しを忘れずにいたい。
マンガ家は自分で体験したことしか描けないのである。だから楳図かずおとか伊藤潤二とか想像するだに恐ろしい。何をどうしたらこんな体験をするんだ。
だいたい自転車って世の中で一番書きたくない部類の絵だと思うんだよな。メカむき出しだし、車輪二つにフレームなんてシンプルな構成で人と絡むから適当なバランスで描けないし、車やバイクより難しいんじゃないかと思う。それを「サイクル野郎」はよくぞまあ丁寧に丁寧に何回も何回も。頭が下がる。