Youtuberがなぜここまで成功するのか正直あんまよくわかっていなかった。TVより情報の質は落ちる(と感じられる)からだ。だが考えてみたら、TVも映画に対して同じように言われてきたのだった。答えがあるとしたら「適者生存」だろう。強い者でも、賢い者でもない。最も状況に適した者が生き残るのだ。
ドラえもんには藤子Fの祈りのようなものが込められていて、例えばスネ夫はこんなことも言うんだ。短編の役割的にたまたま…というのもあるんだろうけど、読者はこういうスネ夫を見て、彼の嫌味の裏にある複雑なものを愛するわけだ。これが単純な成金キャラになっちゃうと、ちょっと勿体ないかな。
だいたい自転車って世の中で一番書きたくない部類の絵だと思うんだよな。メカむき出しだし、車輪二つにフレームなんてシンプルな構成で人と絡むから適当なバランスで描けないし、車やバイクより難しいんじゃないかと思う。それを「サイクル野郎」はよくぞまあ丁寧に丁寧に何回も何回も。頭が下がる。
国のコロナ対策に憤りが収まらない人に再掲して見せたいこの画像。政治が賢明で、信頼に足ることなど期待するほうがどうかしてる。いつだって何だって基本うまくいかない。パチンコ屋で「出ねえぞ」と怒っているのと変わらん。逆になぜ出ると思う。あれは「出ますよ」という期待を売っているのだ。
この話題でもう一つ指摘しておきたいのは、連載当時梶原一騎&読者の間で既にソースライスが「貧乏飯」のイメージであり、それ自体は間違いではないのだが、昭和初期においておそらく各家庭にまだウスターソースが常備されていない状況で、一応の「それなりメニュー」であった可能性の忘却である。
志那虎のキャラを立てるためのエピソードである。一から十まで狂っている。父ちゃん頭おかしい。そしてマンガというのはこうでなければならない。これを大真面目にやるのである。だからこそ読者もついてきてくれる。チクワと鉄アレイとか。
これ既に書かれていたら申し訳ないけど、そもそもセワシはのび太としずかちゃんの子孫ではあるけれど、つまりは私生児の傍流であり、セワシがその歴史を変え、ジャイ子系の存在を抹消し、主筋に成り代わるべく巧みにのび太を騙した」というのが一番理にかなった説明ではあるまいか。黒いなセワシ。