多分もっと巧みなアイディアと演出で人質を救出できる。しかしそんなもんは世の中に死ぬほどあるのだ。つまんない。ところが「ペンキ」「牧師」でググるだけでこの画像が出てくる。こんなん誰も思いつかないし、思いついてもやらないからだ。すげえ。ムチャクチャだ。
これらは同じ境地にある。これらは失笑され、嫌悪さえされるかもしれない。だがこれこそが人の心に響き、歳月を経て残る。これこそが表現なのだと思う。我々は人間であり、人間は不完全であり、不完全な者の表現が完全を求める、装うことはすでに蛇足であり汚れている。
高橋幸宏の個人的な供養の意味で、拙作「8bit年代記」第2話を公開します。YMOやライディーンの、当時の鮮烈な印象が少しでも伝わればと思います。その1
手塚治虫の「火の鳥」について、ここ10年くらいでキャラとしての火の鳥の評判が下落したように思う。以前は「超越者とはこういうもの」程度だったのに。思うに、旧約聖書の神を今日我々が当惑と違和感を持ってしか見ることができないように、知らぬうちに時代の微妙な変化があったのかもしれない。
内山まもるのウルトラマンの何が素晴らしいかと言えば、人体への深い理解がそのままウルトラマンへの理解へと繋がっていることだろう。ウルトラマンの極限まで簡略化された造形の根底には、彫刻家である成田亨の深い人体構造への理解があり、それは多くの場合見落とされてしまうものなのだ。