[漫画の表現技法]
藤本タツキ「さよなら絵梨」にて、横長で同じ大きさのコマを連続させることで、
映画的な映像表現を意図する技法。
石ノ森章太郎「龍神沼」でも用いられています。
この時は冒頭のオープニングのみ。
画像は「少年のためのマンガ家入門」より
#さよなら絵梨
チェンソーマン 情報局
インスタ更新!
さよなら絵梨の作中で優太は母親と絵梨の映画を撮影します。
その二人の映画は対比して描かれていました。
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#さよなら絵梨
優太の母は実際には死んでいない。
冒頭の映画では死んだ設定。
優太が高校時代の映像の中に母親役の女優が見切れてしまっている。
そして慌ててカメラを切ったかのような描写。
#さよなら絵梨
絵梨と絵梨の友達、
大人優太と優太父は同じ俳優でもおかしくないですね。
絵梨友はカチューシャ外して、
カラコン着ければ絵梨になる。
#さよなら絵梨
『さよなら絵梨』感想
確かによくわからない作品だとは思うけど
…でもページ数200P近くあったのに飽きずに読めたしどこまでが事実か創作かわからない所も私には良い混乱だった
#さよなら絵梨
淡々と続くスマホサイズのコマ割りを見て、手塚治虫の宝島を思い出す。漫画表現は一周して戦後漫画の原点に立ち返っているのかも知れませんねとかしゃらくさい事でお茶を濁すか
内容は『人をどんな風に思い出すか自分で決める』って言葉をシンプルに前向きに受け取った良かった
#さよなら絵梨
プロットにダメ出し連発する光景の辺りから
「撮影のセンスがついてきて、絵梨という子をもっといい画で撮ろうとしたくなる」
感じを語らずしてカメラ芝居で見せてって好きだなこういうの…
なんで遠くにいるの?
って寄りばかりでない美しい構図で君を撮りたいからですよ、
ほら撮れた
#さよなら絵梨
すごくいいですね…映画好きにはたまらん
焦点のはっきりしない表現によって、
焦点のはっきりしてるコマで
「動きが停まったのでピントがフォーカスした」
時の感覚を視覚に感じさせ、
動きというほど動いてないが停まってはない時のカメラ動画撮影感を漫画表現した非常に興味深い技法
#さよなら絵梨
・絵梨と優太が映画を観たりするシーン
→大泉学園にある映画館
・大泉学園は東映東京撮影所と東映アニメーションスタジオを中心に映画・テレビドラマ・特撮・アニメとオールジャンルの映像を製作している一大拠点で聖地→藤本タツキ先生がここをモデルに描いてるの納得だった
#さよなら絵梨