「フクちゃん」が「養子」であったり「のらくろ」導入が流離譚であったり最終的に戦時下のアイコン化していくキャラクターが教養小説的仕掛けを当初持っていたこは、作者の文学的素養が窺えるだけでなくキャラのその後を考えると興味深い。
そう考えると「ラピュタ」でシータが何故自ら石炭をくべるのか、という「意味」も見えてくる。こういう要素は受けては意識しないが、ジブリ作品の普遍性を根底で支えている。
天馬博士の移民排斥の論理。「日本を思えばこそ」
手塚の予見能力のすごさではなく、この時からこういう思考法があったからというのが正しいだろう。 https://t.co/peepErJVhv
渡辺さんの「父娘くらし」webで公開されているこの話が好き。音読で物語の意味がうまく取れない娘に音読を教える話で、それでも言葉が世界に届く。つげ義春の漫画に蜘蛛の糸を音読する少年の話があるのを思いだした。
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いしいさんの政治漫画でかつてと劇的に変わった事例も。「泡沫候補」と呼ばれ奇天烈な政見放送で注目をあげた候補が「視聴率が得票率なら当選したのに」という「笑い」が成立せず本当に当選してしまうのが昨今。今読むと選挙の劣化への風刺。いしいさんの「昔」の政治漫画は「今」に鋭い批評性を持つ。
田河水泡が義勇隊の訓練所で漫画の描き方を教えた際、コンパスと三角定規を手配したとされる。それは当時の受講生のまんがにも証言として残る。教えたのは北斎式の略画か柳瀬正夢風の構成主義か、あるいはミッキーの描き方か。全て可能性としてはありうる。
敗戦後、同一の義勇軍兵士が当時を回想した文章とマンガ。同一人物なのに「文」は移動中の事故の死や凄惨さを描き、マンガはモグラさえ食べる食糧難を「笑い」にする。彼らが戦時下、教えらた「明るく愉快なまんが」の書式に戦後も無意識に縛られているのがわかる。
角川から単行本が出ているけれどノーギャラ・マンガ家の原稿料自腹の自主制作作品「クウデタア」。大江の「セブンティーン」のモデルとなった事件をモチーフに大江自身が登場する。大江も江藤も三島もいた時代への愛惜。
哲学的形而上学的倫理学的な主題を専門用語なしで「物語の構造」によって語ろうと試みたのが村上春樹。その是非あたりから村上春樹論は書かれないと。 https://t.co/WlHn8JmfU5
4月4日発売「くだんのピストル」。
主人公くだんは文字通り「件(件)」から生まれた少年です。しかし、彼には自分とごく少数の者以外、人は獣に見えますが生まれた時からそうなので気にしていません。その少年が「坂本龍馬のピストル」を奪おうとする。そういう物語。
高齢化社会を風刺したいしいひさいちさんのまんが。高齢者切り捨てを皮肉る内容だが、問題なのはこれが1987年、つまり30年以上前のコミックスに収録されていること。漫画に描かれている3−40年後になって一向に解決しないどころかさらに事態は悪化している。
「米国から「自国の船は自国で守るべきだ」と迫られ、苦肉の策として」「防衛省設置法に基づく「調査・研究」を法的根拠」とした。かつてのイラク派兵は違憲、イラク派兵特措法違反の判決がか規定しています。一読を。
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