わりと知られたことかもしれませんが、1965~67年の貸本誌や劇画誌にいくつか作品が掲載されている橘時彦という漫画家は現在の少年画報社社長の戸田利吉郎氏です。最初に見た時はみやわき心太郎の変名かと思いました。貸本誌『刑事』46、48号、一水社『サンデーP・M』誌1967年に掲載されています。
豊田稔は貸本時代は表紙絵の仕事が多いのですが、数少ない漫画作品も劣らず良いです。『玉砕硫黄島』の海水温泉の場面を見ると実力がわかります。
届いたばかりの、さいとう・たかを先生の初期作品を読んだところで訃報。1956年7月頃に描かれた「目撃者」という作品で漫画家を主人公にしている。家業の理髪店を辞めた頃でしょうか?ここから65年で成し遂げたことが多すぎて全貌を把握するのが難しいけどできるだけ追っていきたい。
あまり語られませんが、さいとう・たかを作品初期人気キャラの『黒い子猫』(1957~59年)というシリーズがあります。『黒い子猫』は事件の渦中に突然脈絡なく現れて事件を解決するのですが、この登場の仕方が面白いです。さいとう・たかを作品で初めて似顔絵募集されたキャラではないかと思います。
白土三平先生も亡くなられたか。『灰色熊の伝記』でワーブが死の谷で一瞬立ち止まった後に踏み出す場面が良くて自分が死ぬ時もこれを思い出すかもしれない。
白土三平「殺生小屋」(1961年頃)、殺伐ホラーと思わせてうっかりオチかと思いきや、ゆるい社会批判で終わるところが良いです。
『モーゼル96』23号掲載の園田光慶「追跡」の冷めた雰囲気が格好良いです。ガンマンが倒れる描写は大友克洋『童夢』にも影響があるかもしれません。
同じく園田光慶『殺し屋ナポレオン』でビッグフィストが子供を撃たれて怒って相手を岩で押し潰す場面は、大友克洋『童夢』のヨッちゃんの場面と似ています。『血だまり』『殺し屋ナポレオン』のアイアンマッスルシリーズのような革新的作品を狙って作られたのが『童夢』のような感じがします。
狭山市立博物館の金山明博 遊画展に行ってきました(2回目)。面識はなかったのですが過去の貸本作品集を自作したものと金山さんの貸本単行本を差し上げたら喜ばれてお酒と食事をご馳走になりました。金山さんも出崎統さんと杉野昭夫さんの漫画作品は読んだことがなかったそうです。
平田弘史メジャー誌デビューの「孤独な剣客」(コミックmagazine1966年8月号)は大人向けストーリー漫画の作風になっていますが、その2号後の10月号「蝦蟇剣法」では完全に劇画に変わっています。真崎守が編集に加わった影響だと思いますが、この1966年10月号が実質的な青年劇画誌第1号だと思います。
このイラストレーターの菊地は深井国か杉村篤のはずだけど、杉村篤のサイトの写真と見比べると杉村篤のような気がしてきた。杉村篤は昭和42年2月頃だと青年誌で漫画を描いていたのでこのセリフは整合がとれてないけど、谷口ジローのアシスタント期間中に聞いた話をミックスしたもののような気がする。 https://t.co/rozPXmTVKl