とある事件に関わったことで謝礼金をもらった加西は路傍の貧しい男の子にプレゼントを贈るという結末。モンキー・パンチ先生が23歳の頃の作品で、今から60年前のものですが最後のページの後姿はモンキー・パンチ先生そのものという感じがします。
少年マガジン1982年6月2日号に「鷺巣比夜子」という作家の作品が掲載されていますが、うしおそうじ先生のご息女ではないかと思います。『漫画少年』1955年(昭和30年)7月号にうしお先生の家で女の子が生まれて「ひよこ」と名付けられたという記事がありましたのでこの方がそうではないかと思います。
うしおそうじ先生と顔の描き方が似てるような気がします。親子であっても絵が似るとはいえないですが感性の近さはなんとなく感じます。
谷真沙美「姉弟」(1961年7月)、矢代まさこデビュー作「ちいさな秘密」(1962年9月)ではどちらも戸に耳をそばだてる場面があるのですが、これを見て同一人物と判断できるものだろうかと思います。みやわき心太郎先生ほどの眼力だとそれも可能だったかもしれません。
実は私が「おとこの口紅」を最初に読んだ時に、似た感覚を受ける作品として星野茂樹(原作)・ほんまりう「R探偵事務所」(1999年)を思い浮かべたのですが、ほんまりう作品は常山プロ作品に通じるところがあるのかもしれません。第4話「聖なる河」は特に印象に残っています。
川崎市民ミュージアムで公開された新関健之助(新関青花)作品を見ると、新関健之助のほうがデッサンが精密な感じがします。「しろちび水兵」P40、P104のテーブルやP36、P137の水滴などを見比べると別人かもと思いますが、はっきり断定はできません。
肉の固い親鳥の骨付鳥が名物の香川の一鶴が通販無料にしていますが、愛媛出身の矢代まさこ先生が「よっこヒヨッコ逃亡記」(1966年)で親鳥を食べる場面を描いていて、これを見ると四国でも親鳥を好んで食べる習慣は無かったような感じがします。
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昭和12年(1937年)『譚海』誌連載の新関健之助「親分子分」を読んでたら、あれ?手塚治虫がいる?と思うようなキャラクターが出ていました。「親分子分」は昭和10~12年に2年間ほど連載していた作品でこれはバカ殿様の側近の家老役です。
手塚治虫の初期作「奇蹟の森のものがたり」の自画像は鼻のブツブツが描かれておらず昭和20年代の作品でも見当たりません。この鼻が描かれたのは昭和31年頃からのようで「来るべき人類」(1956年)あたりから描かれています。この自画像の原型が新関健之助のキャラなのか気になるところです。