貸本時代のモンキー・パンチ(加東一彦)の絵の変化。1枚目が昭和34年、2枚目が昭和37年。線が鋭くなっている。作品の傾向としてアクションものは「プロ対プロ」、怪奇ものは「どんでん返し」を重視していてルーツは感じられる。
もう一人のモンキー・パンチ(加藤輝彦)の昭和38年少年マガジン連載作品「猿とび小源太」。絵は一彦風でていねいに描いているけど個性が弱い印象。一彦の著作「コミック入門」では講談社の仕事をしていた弟に嫉妬していたような記述がある。
モンキー・パンチが影響を受けたというモート・ドラッカーはMAD誌で1961年から約50年間映画やテレビドラマのパロディを描き続けていた。これはルパン三世が始まる少し前から日本でも人気があった0011ナポレオン・ソロのパロディ。
マニアぐるうぷ(モンキー・パンチ)「ピンク・ガードマン」は最後に007が登場するが、これはモート・ドラッカーのナポレオンソロパロディ回と同じ展開。モンキー・パンチの描く007の顔はドラッカーの007パロディ回のほうの顔を使用。
昭和34年貸本誌投稿からデビューした吉元正(バロン吉元)は昭和37年横山まさみちに弟子入り。無名の新人が昭和38年からの貸本崩壊期に30冊以上単行本を出せたのだからこの判断は正しかったのだろう。バビル二世の浩一顔の絵を描く荒木伸吾。
吉元正(バロン吉元)の貸本単行本の読者イラストコーナーは極めてレベルが高く、既にマニア読者しか残っていなかった貸本誌でもひときわマニア層の支持を得ていたのではないかと思う。この3名は各種貸本誌で松森正と上位を競っていた。
穂積和夫は「私をスキーに連れてって」ポスターやアイビーボーイで知られるが昭和40年頃のメンズクラブのイラストにはバロン吉元も影響を受けたようで、「柔侠伝」の柳勘九郎の顔に影響が見られる。
吉元正(バロン吉元)は昭和40年代初頭メンズクラブで紹介されていたトラッドファッションに強く影響を受けていたようで当時の貸本単行本のキャラもトラッド調。画像2枚目は荒俣宏インタビューでの当時の本人の様子。
昭和42年4月頃吉元正(バロン吉元)最後の貸本単行本「暗殺指令」の巻末でアメコミタッチを研究し漫画ストーリー誌に発表とあり、次のページではアメコミタッチの例示を掲載。例示なのでこの絵はまだ荒削りという感じ。
漫画ストーリー昭和42年5月13日号「白い墓穴」で吉元正(バロン吉元)は漫画誌デビュー。驚くほどクオリティの高い絵になっている。扉のカラーリングがすごい。漫画ストーリー誌デビュー経緯は画像4枚目荒俣宏インタビュー参照。