モンキー・パンチ先生追悼で初期作品紹介しておきます。1959年12月加東一彦名義「24日(クリスマス)に降る霙(みぞれ)」。デビュー後1年程の作品で、加西という貧しい漫画家を主人公にした珍しく自己投影的で感傷的な作品になっています。「世界の名作物を漫画に脚色」というアイデアが書かれています。
狭山市立博物館の金山明博 遊画展に行ってきました(2回目)。面識はなかったのですが過去の貸本作品集を自作したものと金山さんの貸本単行本を差し上げたら喜ばれてお酒と食事をご馳走になりました。金山さんも出崎統さんと杉野昭夫さんの漫画作品は読んだことがなかったそうです。
バロン吉元「高校四年」「殴り屋」の鴨川つばめが描いたと思われる絵。このタッチの絵は昭和50年中盤くらいに掲載された回に出てくるのでちょうど鴨川つばめがアシスタントしていた頃だと思う。鴨川つばめ話が気になる人は「画侠伝」を買ってください。
同じく園田光慶『殺し屋ナポレオン』でビッグフィストが子供を撃たれて怒って相手を岩で押し潰す場面は、大友克洋『童夢』のヨッちゃんの場面と似ています。『血だまり』『殺し屋ナポレオン』のアイアンマッスルシリーズのような革新的作品を狙って作られたのが『童夢』のような感じがします。
『モーゼル96』23号掲載の園田光慶「追跡」の冷めた雰囲気が格好良いです。ガンマンが倒れる描写は大友克洋『童夢』にも影響があるかもしれません。
>RT
セツコ・山田先生、学校嫌いだったそうですが20歳頃(1962年)に描かれた作品を見ると教室の様子がものすごく丁寧に描かれていて楽しそうな感じがします。
(山田節子「ルミと私」1962年6月)
かとう・一彦(モンキー・パンチ)昭和37年「ナンバー5+α」の銭形警部。ルパン三世でおなじみのやりとりがすでに描かれている。銭形警部は知る限りでは昭和37年頃の貸本3作品と昭和42年漫画ストーリー誌「アウトサイダー」に登場している。
ありま猛先生の1980年再デビュー作品「ざ・大物伝」掲載のリイド社『劇画ダッシュ』を読み返してみましたが意識的に無神経キャラを描いていて、このキャラ性格がリイドコミックの出世作「道連れ弁当」に引き継がれます。「ざ・大物伝」の結末はどんな批判質疑にも動じない議員になるというオチです。