肉の固い親鳥の骨付鳥が名物の香川の一鶴が通販無料にしていますが、愛媛出身の矢代まさこ先生が「よっこヒヨッコ逃亡記」(1966年)で親鳥を食べる場面を描いていて、これを見ると四国でも親鳥を好んで食べる習慣は無かったような感じがします。
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@TsuneyamaPuro @ikkyujapan 常山孝先生の作品をようやく読むことができました。つねやまたかし「きちがい」(バニー昭和47年1月号掲載)です。これがまた面白くて劇画誌好きながら今まで常山孝先生を認識できていなかったことに恥じ入るばかりです。
とある事件に関わったことで謝礼金をもらった加西は路傍の貧しい男の子にプレゼントを贈るという結末。モンキー・パンチ先生が23歳の頃の作品で、今から60年前のものですが最後のページの後姿はモンキー・パンチ先生そのものという感じがします。
漫画アクション昭和43年8月10日創刊号の掲載作品を見ると女性キャラ作品を重視しているのが先行していた芳文社コミックmagazine誌との大きな違い。清水文人がモンキー・パンチに対して女性の描き方を口うるさく言っていたのも、ピンキー路線を強化した誌面作りを目指していたからだろう。
さいとうプロを支えた3人のチーフアシスタントの一人だった石川フミヤスの「断末魔」(1960年)。貸本探偵アクションにリアリズムを導入しすぎて後味の悪い結末になっています。貸本全盛期は各作家の劇画観による実験作が多かったですが、リアル描写こそ劇画という石川フミヤスの劇画観が表れています。
うしおそうじ先生と顔の描き方が似てるような気がします。親子であっても絵が似るとはいえないですが感性の近さはなんとなく感じます。
昭和12年(1937年)『譚海』誌連載の新関健之助「親分子分」を読んでたら、あれ?手塚治虫がいる?と思うようなキャラクターが出ていました。「親分子分」は昭和10~12年に2年間ほど連載していた作品でこれはバカ殿様の側近の家老役です。
昭和42年4月頃吉元正(バロン吉元)最後の貸本単行本「暗殺指令」の巻末でアメコミタッチを研究し漫画ストーリー誌に発表とあり、次のページではアメコミタッチの例示を掲載。例示なのでこの絵はまだ荒削りという感じ。
バロン吉元先生の貸本時代の作品「鉄火野郎 No.8 破れかぶれ」(1964年)、時代を先取りしすぎて竹宮惠子先生の作品みたいになってます。
漫画ストーリー昭和42年5月13日号「白い墓穴」で吉元正(バロン吉元)は漫画誌デビュー。驚くほどクオリティの高い絵になっている。扉のカラーリングがすごい。漫画ストーリー誌デビュー経緯は画像4枚目荒俣宏インタビュー参照。