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真崎守デビュー5作目「波は何も云わない」(1961)はつげ義春「手錠」(1959)と同じような話で、絵も似た感じがします。つげ義春先生によると「手錠」はもともとつげ忠男先生の作品を自作として発表したものだそうです。手錠につながれて取り残されるという設定は他に原案があるかもしれません。
吉本三平「街に出たミッキーマウス 兜町進出の巻」。実業之日本 1933年6月15日号。コグマノコロスケの吉本三平のミッキー漫画。掲載誌は東洋経済と同時に創刊された経済誌なのでこの漫画も株式が題材となっている。
川崎市民ミュージアムで公開された新関健之助(新関青花)作品を見ると、新関健之助のほうがデッサンが精密な感じがします。「しろちび水兵」P40、P104のテーブルやP36、P137の水滴などを見比べると別人かもと思いますが、はっきり断定はできません。
手塚治虫の初期作「奇蹟の森のものがたり」の自画像は鼻のブツブツが描かれておらず昭和20年代の作品でも見当たりません。この鼻が描かれたのは昭和31年頃からのようで「来るべき人類」(1956年)あたりから描かれています。この自画像の原型が新関健之助のキャラなのか気になるところです。
松下井知夫「星から来た男」。主人公星柄北男には影武者のような瓜二つの男が2人あり、惑星S(瀬楠)・惑星M(摩根)と呼ぶ。女の問題を惑星S、金の問題を惑星Mが担当してその都度北男と入れ替わる。主人公の性質が状況によって変わり周囲が翻弄されるのがこの話の面白さの根幹になっている。
このイラストレーターの菊地は深井国か杉村篤のはずだけど、杉村篤のサイトの写真と見比べると杉村篤のような気がしてきた。杉村篤は昭和42年2月頃だと青年誌で漫画を描いていたのでこのセリフは整合がとれてないけど、谷口ジローのアシスタント期間中に聞いた話をミックスしたもののような気がする。 https://t.co/rozPXmTVKl
吉元正(バロン吉元)は昭和40年代初頭メンズクラブで紹介されていたトラッドファッションに強く影響を受けていたようで当時の貸本単行本のキャラもトラッド調。画像2枚目は荒俣宏インタビューでの当時の本人の様子。
穂積和夫は「私をスキーに連れてって」ポスターやアイビーボーイで知られるが昭和40年頃のメンズクラブのイラストにはバロン吉元も影響を受けたようで、「柔侠伝」の柳勘九郎の顔に影響が見られる。
「柔侠伝」第二話のエピソードは「ククルス・ドアンの島」みたいな話で、こういうのが好きな人はしっくりくるのではないでしょうか。
吉元正(バロン吉元)の貸本単行本の読者イラストコーナーは極めてレベルが高く、既にマニア読者しか残っていなかった貸本誌でもひときわマニア層の支持を得ていたのではないかと思う。この3名は各種貸本誌で松森正と上位を競っていた。