『別冊週刊漫画TIMES』で植木金矢は最上元などの名で劇画作品を描き続けていましたが、特に印象に残っているのが「維新血風禄」シリーズで、とりわけ第14話「月之介有情」(1966年9月20日号)は素晴らしい出来です。劇画というよりはグラフィックノベルといった感じがします。
昭和22年の赤本漫画ですが唐沢なをき先生の漫画みたいな内容。アヲキスエヲ「忍術太郎漫遊記」(昭和22年7月)。曙出版の最初期の漫画単行本で土屋弘社長の好みの作風かもしれません。絵を見るとかたびらすすむにしか見えないのですが青木末雄という作家は別におり、真似にしてはうますぎるので謎です。
石井いさみ先生の貸本誌『街』投稿作(1958年末)では評者の辰巳ヨシヒロから「夢がない」と評されていますが、「のら犬の丘」等の真樹日佐夫原作作品ではこの退廃的な持ち味が発揮されて見ごたえのある作品となっていました。同じ投稿者の荒木伸吾は同様の話を描いても「夢がある」と評されています。
バロン吉元「高校四年」「殴り屋」の鴨川つばめが描いたと思われる絵。このタッチの絵は昭和50年中盤くらいに掲載された回に出てくるのでちょうど鴨川つばめがアシスタントしていた頃だと思う。鴨川つばめ話が気になる人は「画侠伝」を買ってください。
届いたばかりの、さいとう・たかを先生の初期作品を読んだところで訃報。1956年7月頃に描かれた「目撃者」という作品で漫画家を主人公にしている。家業の理髪店を辞めた頃でしょうか?ここから65年で成し遂げたことが多すぎて全貌を把握するのが難しいけどできるだけ追っていきたい。
双葉社オール娯楽昭和40年4月~連載 石森章太郎「超特急記者ハト子ちゃん」。読物誌だが漫画部分は清水文人が関わっていたと推測。清水文人はモンキー・パンチのプレイボーイ入門を見て「女がまるきり描けていない」と言ったらしいがこの作品を念頭においていたのではないかと思う。
刺青を彫る場面を描いた漫画がどれほどあるかわかりませんが、劇画ではつげ義春「老人の背中」(1960)が最初に描かれたものではないかと思います。「老人の背中」はロアルド・ダールの短編小説「皮膚」(1952)を原案とした作品で、1910年代で既に電気針で彫っていた姿が描かれているのが面白いです。
石森章太郎「超特急記者ハト子ちゃん」の主人公は仕事のためなら体を投げ出すこともいとわない設定で、この時期としてはどぎつい性的描写がある。この連載終わりあたりに永井豪がアシスタントとして入ってくる。この時期からの石森のピンキー路線化が永井豪に少なからず影響を与えたと思う。