昭和12年(1937年)『譚海』誌連載の新関健之助「親分子分」を読んでたら、あれ?手塚治虫がいる?と思うようなキャラクターが出ていました。「親分子分」は昭和10~12年に2年間ほど連載していた作品でこれはバカ殿様の側近の家老役です。
バロン吉元「柔侠伝」は明治から四世代に渡る武道家ファミリーのシリーズ第一作です。同じ世代交代漫画のジョジョの奇妙な冒険ファンにもおすすめです。柔術師匠の父親を投げ殺して新たな人生を切り開いたディオのような暗い生い立ちの男がジョナサンの様に義と情に生きる話です。
コミックmagazine昭和42年2月号樹下太郎/臼杵三郎(あすなひろし)「殺してごめんなさい」。出世のため歌手志望の女と手を切ろうと歌詞と偽り遺書と毒入ジュースを用意するが紙を飲み込まれる。この人はコミカルな女性を描くのがうまい。
谷真沙美「姉弟」(1961年7月)、矢代まさこデビュー作「ちいさな秘密」(1962年9月)ではどちらも戸に耳をそばだてる場面があるのですが、これを見て同一人物と判断できるものだろうかと思います。みやわき心太郎先生ほどの眼力だとそれも可能だったかもしれません。
漫画ストーリー昭和42年5月13日号「白い墓穴」で吉元正(バロン吉元)は漫画誌デビュー。驚くほどクオリティの高い絵になっている。扉のカラーリングがすごい。漫画ストーリー誌デビュー経緯は画像4枚目荒俣宏インタビュー参照。
穂積和夫は「私をスキーに連れてって」ポスターやアイビーボーイで知られるが昭和40年頃のメンズクラブのイラストにはバロン吉元も影響を受けたようで、「柔侠伝」の柳勘九郎の顔に影響が見られる。
バロン吉元「画侠伝」別冊で驚いたのが鴨川つばめの話。この話の中に「中河のりお」という名が出るがこの人は貸本誌「街」で九鬼誠と共に新人賞受賞した人。受賞作「夜更の雨」の復讐相手の子供が自分の命の恩人だと知った男が逃げていく場面が面白く気になっていたが鴨川つばめとつながりがあるとは。
昭和42年4月頃吉元正(バロン吉元)最後の貸本単行本「暗殺指令」の巻末でアメコミタッチを研究し漫画ストーリー誌に発表とあり、次のページではアメコミタッチの例示を掲載。例示なのでこの絵はまだ荒削りという感じ。
週刊漫画TIMES昭和32年1月~昭和33年12月連載(全66回)松下井知夫「星から来た男」。青年億万長者の星柄北男は世の中の全てに飽き飽きして何事にも心を動かされないが、ある夜きまぐれに助けた女パールの付き添いの三下モツ公はそんな彼を「星から来た男」と呼ぶ。
川崎市民ミュージアムで公開された新関健之助(新関青花)作品を見ると、新関健之助のほうがデッサンが精密な感じがします。「しろちび水兵」P40、P104のテーブルやP36、P137の水滴などを見比べると別人かもと思いますが、はっきり断定はできません。
肉の固い親鳥の骨付鳥が名物の香川の一鶴が通販無料にしていますが、愛媛出身の矢代まさこ先生が「よっこヒヨッコ逃亡記」(1966年)で親鳥を食べる場面を描いていて、これを見ると四国でも親鳥を好んで食べる習慣は無かったような感じがします。
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