『モーゼル96』23号掲載の園田光慶「追跡」の冷めた雰囲気が格好良いです。ガンマンが倒れる描写は大友克洋『童夢』にも影響があるかもしれません。
同じく園田光慶『殺し屋ナポレオン』でビッグフィストが子供を撃たれて怒って相手を岩で押し潰す場面は、大友克洋『童夢』のヨッちゃんの場面と似ています。『血だまり』『殺し屋ナポレオン』のアイアンマッスルシリーズのような革新的作品を狙って作られたのが『童夢』のような感じがします。
さいとうプロを支えた3人のチーフアシスタントの一人だった石川フミヤスの「断末魔」(1960年)。貸本探偵アクションにリアリズムを導入しすぎて後味の悪い結末になっています。貸本全盛期は各作家の劇画観による実験作が多かったですが、リアル描写こそ劇画という石川フミヤスの劇画観が表れています。
かとう・一彦(モンキー・パンチ)昭和37年「ナンバー5+α」の銭形警部。ルパン三世でおなじみのやりとりがすでに描かれている。銭形警部は知る限りでは昭和37年頃の貸本3作品と昭和42年漫画ストーリー誌「アウトサイダー」に登場している。
漫画アクション昭和43年8月10日創刊号の掲載作品を見ると女性キャラ作品を重視しているのが先行していた芳文社コミックmagazine誌との大きな違い。清水文人がモンキー・パンチに対して女性の描き方を口うるさく言っていたのも、ピンキー路線を強化した誌面作りを目指していたからだろう。
復刻版 新関健之助『富士の山』(1943年)を読みましたが、富士登山だけでなく学校や生活の様子も丁寧に描かれている戦中リアリズム漫画の名作です。なぜか国会図書館にも収蔵されてないので初めて読むことができました。
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セツコ・山田先生、学校嫌いだったそうですが20歳頃(1962年)に描かれた作品を見ると教室の様子がものすごく丁寧に描かれていて楽しそうな感じがします。
(山田節子「ルミと私」1962年6月)
モンキー・パンチが影響を受けたというモート・ドラッカーはMAD誌で1961年から約50年間映画やテレビドラマのパロディを描き続けていた。これはルパン三世が始まる少し前から日本でも人気があった0011ナポレオン・ソロのパロディ。
豊田稔は貸本時代は表紙絵の仕事が多いのですが、数少ない漫画作品も劣らず良いです。『玉砕硫黄島』の海水温泉の場面を見ると実力がわかります。
ありま猛先生の1980年再デビュー作品「ざ・大物伝」掲載のリイド社『劇画ダッシュ』を読み返してみましたが意識的に無神経キャラを描いていて、このキャラ性格がリイドコミックの出世作「道連れ弁当」に引き継がれます。「ざ・大物伝」の結末はどんな批判質疑にも動じない議員になるというオチです。