パワーだけならば弟子達の方が上回っているという描写は、初期の頃からあった。
それでも亀仙人が長らく悟空達の師匠でいられたのは、戦闘力だけではない達人の"技量"があったからだ。
かつて弟子2人に教えた、5ヶ条を再び唱える姿は"あの頃"の『ドラゴンボール』への原点回帰と上手く繋がって行く。
そのしばらく後に亀仙人は、新シリーズ『ドラゴンボール超』で特出した描写がなされた。
アニメ版も捨てがたいが、やはり最も亀仙人らしくあったのは漫画版での活躍だ。
戦闘力=単純なパワー概念の否定を、インフレに置いていかれた師の口から説いて見せるというのが、漫画版の大きな特徴である。
こうして見ると、初期は亀仙人という師匠の存在が"軸"となっているのがよく分かる。
早い段階で前線から退いた亀仙人だが、展開が進むにつれてインフレ・バトルに置いていかれた者の苦悩を見せたりもした
わざわざこうした描写を挟むというのが、作者にとって思い入れのあるキャラクターなのだと窺える
少年悟空編の終盤に向けた局面では、天津飯の登場と共に次世代への期待を寄せる"世代交代"を意識した描写が何度か挿入される。
ピッコロ大魔王の襲来によって展開された「師匠の死」と主人公による"仇討ち"が成される帰結は、昔ながらのカンフー映画のパターンを踏まえてもいた。
天下一武道会で亀仙人は、ジャッキー・チュンという仮の姿で悟空達の前に立ち塞がる
実力は拮抗しながらも、経験者としての差で勝利したチュンは当面での悟空の目標ともなった
成長を促す存在という意味では、一番最初の悟空のライバルキャラは天津飯ではなく、ジャッキー・チュンだという見方も出来る
そしてソレらは武天老師という、本来の顔を際立たせる為のギャップとして効果的に活かされて来る
文武両道の教育方針や師匠らしい名言の数々など、その理念は正しく優れた人徳者だ
ジャッキー映画のファンである作者、鳥山明のリスペクトが上手く働いた、師匠表現の発展系とも云えるキャラクターである
亀仙人の特徴は、これまでの師匠キャラ達と同様に賢人とは思えない奇行を見せてくる事だ
ギャグ漫画だった初期の頃は、作中一番のボケ担当でもあった
特に個性として突出しているのが、色欲からなる煩悩が強いという賢者にあるまじき描写だ
今までの師匠達を顧みても、ここまで攻めた設定の者はいない
そんな少年漫画のジャンルで、師匠キャラの金字塔ともなったのが『ドラゴンボール』に登場した亀仙人だ。
序盤ではコミカルなだけの老人として登場したが、武術の達人である武天老師という設定が明かされた後に、師匠として主人公・孫悟空を心身共に鍛え上げた、とても重要なキャラクターである。
『リーグ』2作目では、ウェルズの『宇宙戦争』に登場した火星人が19世紀の英国に襲来し、紳士同盟が立ち向かう筋立てが正にブリティッシュ・アべンジャーズ。
役割が殆どハルクな、ハイド氏が1人で火星人部隊を殲滅するラストが見所だが、このシリーズは回を増す毎に方向性がブッ飛んで行く。
ちょっとお高めの『リボンの騎士 少女クラブ カラー完全版』を購入。
扉絵やカラーなど、1953年当時の掲載順を限り無く近く再現したワイド本となっている。
男とは、女とは何か?といったジェンダー論へ手塚治虫なりに踏み込んだテーマの先見性が最も興味深い見所だ。
戦うヒロイン好きなら必携の書。
自分の美形悪役フェチは、『烈火の炎』の天堂地獄から始まってる様な気がする。
極悪面なオッサンと禿げのオッサンが合体して生まれた、紛うことなき整形イケメンだ。
性根の悪さが出る下劣な表情への変化が良い。
トライバルタトゥーみたいな模様や設定など、無惨様への影響もあるんではなかろうか。
『大蜘蛛ちゃんフラッシュ・バック』は、主人公の父親の視点で若い頃の母親の姿がフラッシュ・バックして母に恋してしまうという内容だが『八神くんの家庭の事情』に加えて『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティと過去の母のロマンスとかも影響が強そう
フェチズムと背徳感の合わせ技路線だ。