そんな中で1つの変化球であったのが『ドラゴンボール』の中での決着の付け方だ。
悟空と最も因縁深い宿敵フリーザとの闘いでは、高揚感溢れる勝利とは言い難い、虚しさと苦味を伴う結末として悪役の最期が演出されていた。
日本の少年漫画の固有の様式では、敵を倒す際の演出というものが重要視されている。
仲間同士が力を合わせて敵を討ち倒し、読者の高揚感を高めるという『聖闘士星矢』を代表とした見せ場は、少年ジャンプだけではない他の少年漫画雑誌にも共通するフォーマットとして定着した。
漫画版『風の谷のナウシカ』に登場したナムリスは弟に対する劣等感が故に権力を志向したが、その本質は歪な内面性にある。
事が終わると燃え尽きて虚無的な思考となり、自分の命すら蔑ろにしたままゴミの様に空へと消える。
屈折感情を交えたそのシニズム観は、宮崎駿が最も力を入れた悪役造型だろう
漫画の名シーン、悟空とフリーザ絡みも名場面が多い。
フリーザにトドメを刺した時の台詞を用いない、悟空の何とも言えない表情が特筆だが、コレ以降から悟空は激情型ではないドライで達観した性格付けになっていった気がする。
漫画の名シーンと云えば、やっぱり『キャンディ・キャンディ』のラストかな~
全巻セットで買って、続き読みは明日にとっておこうと思いながらも半日ブッ続けで一気に読んでしまった漫画。
アニメ版での最後のアレンジ改変は許せぬ。
王子様と云えば"金髪碧眼"というイメージがいつ頃から定着したのかがよく分からない。
セーラームーンの場合だと、王子様ポジションのまもちゃんは黒髪短髪(眼は青い)とちょっと珍しいパターン。
逆に判りやすい王子様デザインのジェダイトを、一発目の敵幹部として出したのは意図的な気がする。
スパイダーマン3にDr.ストレンジが登場。
毎回、師匠格の導き手が変わるのがちょっと面白い。
ストレンジとスパイディの組み合わせといったら『ハウス・オブ・M』での、辛い記憶を魔法で消す様に頼んだら、断られてブチ切れるやり取りを思い出す。
映画では良い弟子になれると良いですねパーカー君。
今回の師匠キャラ達は皆"戦闘者"という括りで纏めてみたが、スポ根漫画に登場するコーチや監督などにも非常に近い性質がある。
『巨人の星』での星一徹のスパルタ教育を始めとして、『エースをねらえ!』の宗方コーチや『SLAM DUNK』の安西先生など、スポーツ物だけでもそのタイプは様々だ。
『ストリートファイター』シリーズの主人公リュウの師匠と云えば『ストⅣ』から登場した剛拳がいる
設定だけなら初期から存在していたが、初出は神崎将臣の漫画『ストリートファイターII -RYU』だ
ベガに殺害された亡き後も、言葉と共にリュウに影響を与え続け、最終決戦では其の存在がより強調された
『NARUTO -ナルト-』に登場した自来也は、主人公ナルトへの修行の際に的確に世界観の"理"を説明する役割を担った最初の師匠だ
作中に登場する忍術の源"チャクラ"は人体の内部で働く力であり、武侠小説にある内力にも通じる設定である
同様に『スター・ウォーズ』のフォースが持つ神秘的な概念にも近い
武術全般の理念である"功夫を積む"とは正にこういう事だ。
経験予測に加えて、其の"精神性"が武道家の強さに繋がるという帰結にも、古来からある中国武術の哲学とロマンが垣間見える。
強さの価値基準の方向性を修正した、亀仙人はやはり作中一番、そして悟空にとっても一番の師匠であった。
圧倒的に力の差がある、強敵ジレンの攻撃をかわせる亀仙人の潜在能力は後付けではある。
だが、過去の設定との擦り合わせとしては矛盾も無く良く出来てもいた。
要は当たりさえしなければ良いという戦法であり、身体スペックとはまた違う経験の蓄積による"テクニック"を見せる描写だ。