漫画版『風の谷のナウシカ』に登場したナムリスは弟に対する劣等感が故に権力を志向したが、その本質は歪な内面性にある。
事が終わると燃え尽きて虚無的な思考となり、自分の命すら蔑ろにしたままゴミの様に空へと消える。
屈折感情を交えたそのシニズム観は、宮崎駿が最も力を入れた悪役造型だろう
ドラゴンボールって数字で強さを計るのが昔から定番だけど、バカみたいに桁が膨れ上がる表現がちょっと苦手で..。
スカウターで戦闘力を計る設定はサイヤ人編とナメック星編までで、後は結構アバウト。
だから強さの物差しの例えで、べジータとフリーザの名を出した超の亀仙人には成る程と感心した。
パトレイバーで風刺していた、男性が女性の頭を気安く触れる問題、YouTubeで配信中のトッキュウジャーとガンダム00でも発見。
トッキュウジャーは男性優位に思わせて、最後にはヒロインが自身の在り方を自覚するという、小林靖子女史らしい脚本。
ガンダム00は本気で良い場面として描いているみたい。
頭ポンポンで思い出すのが漫画版パトレイバー
野明に気がある風杜刑事は、やってる事が全部駄目というこの描写(これ以降、野明との縁自体が無くなる)
イケメンであっても、ナチュラルに下に見てくる相手に頭ポンポンされたら腹立つもんは腹立つってのを、80年代にやっちゃってるのが先進的。
憎悪と闘志でギラギラだったのが、途端に何もかもどうでもよくなってしまった皇兄ナムリス
殺してくれと懇願するも、ちょっと関心事が出来た瞬間に端の方から落ちて消えてしまうその皮肉さは、趣のある最期だ。
#悪役の結末は選べない
忍たまの土井先生、アニメでは可愛い系男子の見た目だけど、原作漫画だとガタイがよくて結構男性的。
正直「エロカッコ良い」のは原作の土井先生だと思う。
シロさんの脳内イメージに出てくる、きのう何食べた版ジルベール
あの界隈では、『風と木の詩』は知ってて当然の教養なのだ。
原作者と脚本家の解釈の不一致という点では、共通するものがある『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』
漫画だと最終話までプラトニックな関係性だったのが、うる星2のラストだと、日常的にキスしてそうなラムとあたるの描写にはドキっとした。
原作も良いが、この押井守版ルートも捨て難い。
男装の麗人で案の定、セーラーウラヌスこと天王はるかが例に挙がってるけど、漫画版とアニメ版だと解釈が違っていて、前者は性自認が男な節があり、後者は男装と女装をその日によって使い分けている(性別自体が変わる雌雄同体な設定)
明らかに後者の方が闇が深いと思う。